はじめての調香 · 52
Cetalox と Ambroxan は同じものか——化学登録は「別」、食品香料規制は「同じ」と答える
· 17 分
r/DIYfragrance でこの質問は少なくとも三回立っている。23 件の返信は結論に収束しない。登録番号を調べると、答えはどの機関に訊くかで変わることがわかった。CAS は二つの番号を与えている(6790-58-5 と 3738-00-9)が、PubChem の IUPAC 名は一字一句同じで、冒頭の立体記述子の接頭辞だけが違う。一方 FEMA は両者に同じ 3471 を、欧州評議会は同じ 10514 を与えている。融点範囲も符合する。立体化学が指定された方は 74〜75 °C、指定されていない方は 75〜85 °C。嗅ぎ分けられるかは別の問題で、Laska 1999 は十対の鏡像異性体のうち三対しか有意に識別できなかった。そして 2025 年の Communications Biology がこの分子の受容体 OR7A17 を同定し、その機能喪失アレルが東アジアで特に多いことを報告している。
所要 9 分。
r/DIYfragrance で、この質問は少なくとも三回立っている。
「いくつかのサイトを見ていると ambroxan がたくさんある。ambrofix、cetalox、orcanox とか。見聞きした限りでは基本的に同じもので、メーカーによって名前が違うだけらしいけど、拡散性や香調が少し違うという書き込みも見た。経験のある人、教えてほしい」
そのスレッドには 30 件の返信がついた。一年後に別の人が新しいスレッドを立て、13 件。二か月前に三本目が立ち、7 件。関連する 16 件のスレッドも合わせて、中身のある返信を 23 件読んだ。
収束していない。
フォーラムの三つの立場
一つ目:全部同じ。
「ambroxide 系はどれも同じだと思う。特に処方に入れてしまえば」(beraelen)
「同じ分子で、メーカーが違うだけ。どれを選んでも問題ない」(Salty-Flounder3840)
二つ目:違う。しかもどこが違うか言える。
「Ambrox Super はミネラル感が強い。calone と tonalide のミネラル感の中間くらい。ambrofix はもっと軽くて、ウッディさが少ない。Orcanox はウッディで埃っぽい。Ambroxan KAO のフレークは柔らかいウッディとムスク、少しクマリンっぽい」(Superb_Walk4874)
「Ambrofix の方が強くて滑らかで長持ちする。他の ambroxide にある硬めのウッディさがない。Cetalox はウッディ寄りだと思う」(CapnLazerz)
三つ目:違うが、あなたには分からない。
「Cetalox は他の ambroxide とかなり違う。もちろん同じ方向ではあるけれど。でも調合の中で一方を他方に置き換えても、目立った差は出ない」(bdrayne)
三つのうち二つ目が最も具体的で、そして二つ目の内部が互いに食い違っている。Superb_Walk4874 は Ambrox Super をミネラル感、ambrofix を軽いと書く。Salty-Flounder3840 は Ambrox Super が Ambrofix より「少し暖かい」と書く。CapnLazerz は Ambrox Super が「Ambrofix とほぼ同一」と書く。同じ組み合わせに三人が三つの答えを出している。
これをどう確かめるべきかに触れたのは一人だけだった。
「ambroxan、Ambrox super、ambrofix、Ambrox dl、cetalox をブラインドで嗅いで、差が分かるとは思えない。ましてや調合の中でとなると。フレッシュ系を作るから、どれを使ったか当てられた人にはメダルをあげる」(AdministrativePool2)
23 件のうち、ブラインドテストに触れたのはこの一件だけだ。残りはすべて、何を嗅いでいるか知っている状態で書かれた感想になっている。
登録レベルの事実に触れたのも一人だけだった。
「Cetalox は ambroxan のラセミ混合物」(Lorenzomj)
この書き込みはその後の議論に流された。内容は正しい。
登録番号はどう言っているか
まずデータベースの三つのレコードを見る。
| CAS | 分子式 | 分子量 | 供給元 | |
|---|---|---|---|---|
| ambroxan(head_synonym: Ambrofix, Givaudan) | 6790-58-5 | C16H28O | 236.398 | 61 社 |
| amber naphthofuran | 3738-00-9 | C16H28O | 236.398 | 31 社 |
| ambroxide(head_synonym: Ambrox, Firmenich) | 65588-69-4 | C15H26O | 222.371 | 1 社 |
上の二つは分子式が同じ、分子量が同じ、logP はどちらも 4.70(推定)、推定水溶解度に至っては 2.436 mg/L @ 25 °C と小数点以下三桁まで一致している。
推定値が末尾まで一致する理由はふつう一つで、推定器が同じ構造を受け取っている。
PubChem で IUPAC 名を引いて並べた。
- CAS 6790-58-5(CID 10857465):
(3aR,5aS,9aS,9bR)-3a,6,6,9a-tetramethyl-2,4,5,5a,7,8,9,9b-octahydro-1H-benzo[e][1]benzofuran - CAS 3738-00-9(CID 107166):
3a,6,6,9a-tetramethyl-2,4,5,5a,7,8,9,9b-octahydro-1H-benzo[e][1]benzofuran
二行を重ねると、違いは冒頭の (3aR,5aS,9aS,9bR)- だけ。あとの一字一句が同じになっている。
同じ骨格。片方は四つの不斉中心を指定していて、片方は指定していない。
そして PubChem が 3738-00-9 に与えている最初の同義語は Cetalox である。
融点範囲が裏づける
前回マルトールの記事で融点を溶解度の計算に使った。ここでは融点にもう一つの使い道がある。使うのは数値ではなく、範囲の広さの方だ。
| 融点 | |
|---|---|
| 6790-58-5 | 74.00〜75.00 °C |
| 3738-00-9 | 75.00〜85.00 °C |
純物質の融点は鋭い。他のものが混ざると融点は下がり、幅を持つようになる。凝固点降下で、高校化学の範囲に入っている。1 度の幅と 10 度の幅が語っているのは温度ではなく純度だ。
10 度の幅は「立体化学が指定されていない」という登録の状態と整合する。
ここで一度ブレーキをかける。融点範囲が広いことから言えるのは単一の純物質ではないということまでで、どの異性体がどの比率で混ざっているかまでは言えない。フォーラムで引用されていたメーカーの説明文は「racemic Cetalox」と書いているが、それはメーカーの記述であって、私が確認できた第三者の分析報告ではない。
ところが食品香料規制は同じものとして扱う
ここまでは「別の二つ」を指している。規制欄を見たら向きが変わった。
| FEMA | 欧州評議会 CoE | JECFA | FLAVIS | |
|---|---|---|---|---|
| ambroxan 6790-58-5 | 3471 | 10514 | なし | なし |
| amber naphthofuran 3738-00-9 | 3471 | 10514 | 1240 | 13.072 |
FEMA は同じ番号を与えている。欧州評議会も同じ番号を与えている。
つまり「Cetalox と Ambroxan は同じか」には、どちらも成立する二つの答えがある。
- CAS(化学情報検索サービス)に訊けば、別。立体化学の指定の有無で登録が二つに分かれる。
- 食品香料規制に訊けば、同じ。FEMA 3471 も CoE 10514 も共通している。
フォーラムの三つの立場が決着しないのは、それぞれが本当に成立する答えの上に立っているからでもある。
どの名前がどの番号に対応するか
よくある商品名を、データベースの name、head_synonym、synonyms、notes、供給元欄をまとめて検索した。
| 商品名 | データベースが解決する先 |
|---|---|
| Ambrofix(Givaudan) | 6790-58-5。head_synonym に直接書かれている |
| Orcanox | 6790-58-5。このレコードにしか現れない |
| Cetalox | 6790-58-5 と 3738-00-9 の両方に現れる |
| Ambrox Super | 6790-58-5 と 3738-00-9 の両方に現れる |
| Ambrexol | 全庫に該当なし |
Ambrofix と Orcanox は帰属がはっきりしている。Cetalox と Ambrox Super は二つのレコードの供給元テキストの双方に現れる。
これはデータベースの誤りというより、市場の実態を映している。この二つの名前は流通の中で一つの CAS に一貫して紐づいていない。「Cetalox はどっちなのか」の答えは、誰が売ったかで変わる。
三つ目のレコードは何か
65588-69-4 のレコードは head_synonym に「ambrox (Firmenich)」、つまり最も古い商標名が入っている。ところが分子式は C15H26O で、他の二つより CH2 が一つ少ない。
PubChem で確認した(CID 196435)。6,6,9a-trimethyl-...。トリメチルであって、テトラメチルではない。
PubChem はデータベースと一致している。だから疑わしいのは分子式欄ではなくラベルの方だ。この番号に付いている「Ambrox」という名前が指す分子は、みんなが話している Ambrox よりメチル基が一つ少ない。供給元は 1 社だけなので実務では当たらないが、初心者が「ambrox」で検索すると引っかかる。
嗅ぎ分けられるかは別の問題
登録上の食い違いは名前を説明するが、鼻を説明しない。
Laska と Teubner が 1999 年に Chemical Senses で行った実験は直球だった。被験者 20 名、鏡像異性体 10 対、三点強制選択法。結果として有意に識別できたのは α-ピネン、カルボン、リモネンの三対のみ。メントール、フェンコン、ローズオキサイド、カンファー、α-テルピネオール、β-シトロネロール、2-ブタノールの七対は識別できなかった。
論文の結論部は明確で、エナンチオ選択的な匂い受容体は一部の分子にしか存在しない可能性があり、キラル認識は普遍的な現象ではないかもしれない、と書いている。
識別できなかった側にローズオキサイドが入っている。調香師が日常的に使う材料だ。
「立体化学が違う」から「嗅ぎ分けられる」までには距離があって、多くの場合その距離は越えられない。
この分子は例外かもしれない
2025 年、Communications Biology に載った Takase らの論文が、それまで誰も成し遂げていなかったことをやった。竜涎香の匂いを担うヒトの受容体の同定である。
特定されたのは OR7A17 で、(−)-ambroxide に応答する。
論文の続きが、日本語や中国語を読む人にとって特に関係が深い。
彼らは OR7A17 の遺伝的変異を解析し、機能を失ったアレルが集団中に広く存在し、東アジアで特に多いことを見つけた。機能型を持たない人でも (−)-ambroxide は感知できるが、その匂いをあまり快く感じない。
論文の冒頭が挙げている手がかりも同じ方向を向いている。歴史的な記録では、一部の集団、特に東アジアでは竜涎香をその匂いの質と関係なく用いていた。
これがフォーラムにどう落ちるか。同じ板に「ambroxan は単体だと薄いものなのか」という 16 件のスレッドがある。「ambrofix は軽い」と書く人と「Ambrox Super はミネラル感」と書く人がいる。この記述の食い違いの一部は、瓶の中にないかもしれない。
限界をはっきりさせておく。Takase らが測ったのは快さであって、二つの立体異性体を識別する能力ではない。「東アジアの人は Cetalox と Ambroxan を区別できない」とは読めない。読めるのは、この材料がどれくらい心地よく感じられるかが遺伝によって変わり、その変異が東アジアで多い、というところまでだ。
コーパスの実態
公開処方コーパス 954 件のうち、アンバー系エーテルを含むものが 95 件、10.0% だった。十件に一件になる。
その 95 件が使っている表記は 15 通り。まとめると:
| 表記 | 出現回数 |
|---|---|
| Ambroxan | 31 |
| Cetalox | 27 |
| Ambrofix | 23 |
| Ambrox / Ambrox DL | 12 |
| amber naphthofuran | 2 |
最も多い単一の名前でも三分の一に届かない。
もう一つ記録しておきたいことがある。**95 件のうち、二つの異なる表記を同時に使っている処方は一件もなかった。**どの処方も一つの名前を選んで最後まで使っている。
これらの材料が処方の中で互いに置き換えられない役割を持っているなら、同じ香水の中で Cetalox と Ambrofix を重ねて使う例が出てきてよさそうなものだ。954 件に一件もない。
使用量の中央値は 0.50%、90 パーセンタイルが 2.00%、最大 17%。
実際にどうするか
- **商品名ではなく CAS を見て買う。**6790-58-5 が立体化学の指定された方、3738-00-9 が指定されていない方。売り手が商品名しか書いていなければ訊く。
- **Ambrofix と Orcanox は 6790-58-5。**この二つの名前はデータ上あいまいさがない。
- **Cetalox と Ambrox Super は確認が要る。**この二つの名前は二つの CAS の下に現れている。
- **一本あれば足りる。**954 件の処方に二種類を併用した例はない。供給元が多い 6790-58-5(61 社対 31 社)から始めるのが素直だと思う。
- **0.5% から始める。**コーパスの中央値がそこにある。
- **薄いとかあまり良い匂いに感じないと思ったなら、材料のせいとは限らない。**OR7A17 の機能喪失アレルは東アジアで多く、影響するのは快さの方だ。
- **二本を比べるならブラインドでやる。**23 件の返信でこれに触れたのは一人だけで、具体的な香調の記述はすべてラベルが見えている状態で書かれている。
私自身の失敗も書いておく。最初に cetalox を name 欄だけで検索して該当なしと出たので、「データベースにこの材料はない」と書きかけた。name 欄には確かにない。synonyms と供給元欄にある。一か月のうちに同じ落とし穴を踏むのは二回目で、前回は sotolon だった。
この記事が立証していないこと
- **ブラインドテストはしていない。**この記事に、私が自分で嗅いで判断した部分は一つもない。調べたのは登録番号、分子式、融点、規制番号、供給元、処方コーパスまで。
- **「Cetalox はラセミ混合物」の独立した証拠は持っていない。**確認したのは CAS 登録に立体化学の指定がないことと、融点範囲が 10 度あることまで。ラセミだと書いているのはメーカーの説明文だ。
- **融点範囲の広さは「単一の純物質ではない」を否定形で示すだけで、組成の同定にはならない。**10 度の幅は複数の立体異性体の共存とも、他の不純物とも整合する。
- **FEMA 3471 と CoE 10514 の共有について、原評価文書は読んでいない。**同じ番号は規制が同一の評価対象として扱っていることを示すが、匂いが同じと認定したことにはならない。
- **Laska 1999 の十対に ambroxide は入っていない。**キラリティが識別を保証しないという一般論に使っただけで、この分子を測った研究ではない。
- **Takase 2025 が測ったのは快さであって識別能力ではない。**集団別のアレル頻度の具体的な数値までは読めていない。
- フォーラムの香調記述は追試できない。「ミネラル感」「埃っぽい」といった表現は、ロット、純度、希釈率で動く。
- **データベースの水溶解度も logP も推定値。**二つが完全に一致することは同一構造を推す根拠の一つにしたが、推定器の一致は実測の一致ではない。
- **65588-69-4 のラベル問題は、分子式が PubChem と一致するところまでしか確認していない。**この CAS が市場で実際に何として売られているかは調べていない。