はじめての調香 · 5
トップ・ミドル・ベースは3つの段階ではない — 揮発は一本の連続した曲線です
· 8 分
香水をトップ・ミドル・ベースに分けるのは処方の言葉であって、物理現象の記述ではありません。1995年のヘッドスペース研究は成分ごとの連続的な減衰曲線を示し、2025年の研究は同じ香りでも人の肌によって揮発速度が異なることを示しました。1,871種類の残香時間データを使って、途中で途切れない曲線の組み方を説明します。
初心者が最初に覚える3つの言葉が、トップノート・ミドルノート・ベースノートです。便利な言葉ですし、教科書もこの区分で説明します。ただ、瓶の中にこの区切りは存在しません。
実際に起きているのはこういうことです。すべての分子が同じ瞬間に揮発を始め、速度だけが違う。 「トップノート」は段階ではなく、揮発の速い分子がまだ空気中に残っている時間帯の呼び名です。
言葉尻の話に聞こえるかもしれません。処方を数字で並べてみると、この見方の実用性が分かります。
研究はどう測っているか
1995年、Vuilleumier、Flament、Sauvegrain は動的ヘッドスペース法を発表しました。前腕内側に採取装置を貼り、流量を制御した空気で肌から拡散する有機蒸気を Tenax 吸着剤に捕集し、各成分の気相中濃度を時間の関数として測定する方法です。
11種類の合成香料をアルコール基剤に溶かしたモデル処方で試すと、出てきたのは成分ごとに1本ずつの減衰曲線でした。「3つの段階」に相当する段差はどこにも見当たりません。数分で検出限界を下回る成分もあれば、数時間たってもまだ残っている成分もある。速さはばらばらに、連続して並んでいます。
つまり「トップ・ミドル・ベース」は、その曲線群の上に後から引いた線です。どこに引くかは慣習の問題で、教科書によって境界は一致していません。
しかも曲線は人によって違う
2025年、Hadjiefstathiou らはさらに踏み込みました。複数の被験者を対象に、GC-FID で8種類の香料分子(myrcene、limonene、ethyl heptanoate、ethyl octanoate、citronellol、hexyl cinnamaldehyde、ethyl decanoate、ethyl butyrate)の前腕からの揮発を半定量し、ガラス表面を対照に置いたうえで、各被験者の皮膚パラメータも測定しています。
結論は、皮膚の性質が香料分子の揮発速度に影響する、というものでした。個体間にははっきりした差があり、統計解析からは分子自身の物理化学的性質と皮膚のタイプの両方がその差に寄与していることが示されました。
同じ一本でも人によって本当に違う。調香師なら誰でも知っているのに定量されてこなかったこの経験則に、根拠がつきました。差は実測でき、皮膚そのものが要因の一つです。体臭や気のせいだけでは説明しきれません。
当社データにおける残香時間
当社が整理した原料データのうち、残香時間と供給情報の両方を持つものは 2026 年 8 月時点で 1,871 種類です。この件数は元データを読み直すたびに動き、本記事を書いた時点では 1,838 でした。表を読む前に、この数字の出どころを知っておいてください。
これらはムエット(試香紙)上での残存時間であって肌の上の数値ではなく、しかも元データの丸め方がかなり粗いものです。43.5%の値が 4・8・12・24・48・168・400 といった切りのよい数字に集中しており、「400時間」だけで306件を占めます。
したがって、順序を見るための目盛りとして扱ってください。絶対値ではありません。沸点を並べて置くと、この制約の代償が見えます。順位はどの帯でも成立し、一つの帯の内部のばらつきは隣の帯との差より大きいのです。
その前提のうえで、香調ファミリー別の中央値は次のとおりです(40種類以上あるファミリーのみ)。
| 香調ファミリー | 残香時間の中央値 | 件数 |
|---|---|---|
| ミント minty | 16時間 | 41 |
| フルーティ fruity | 18 | 184 |
| グリーン green | 21 | 187 |
| シトラス citrus | 28 | 118 |
| ハーバル herbal | 36 | 133 |
| フローラル floral | 88 | 344 |
| スパイシー spicy | 144 | 87 |
| ウッディ woody | 284 | 131 |
| バルサム balsamic | 344 | 99 |
ミントからバルサムまで21倍の開きがあり、しかも連続しています。 「ここから上がベース」と言えるような自然な切れ目は、表のどこを探しても見つかりません。「3段階」の痕跡もありません。
前回のアドバイスの理由がここにあります
前回、組み合わせデータから導いた出発点は「中心にフローラルを1つ、それより軽いものを1つ、重いものを1つ」でした。
フローラルの中央値は88時間。シトラス(28)とウッディ(284)のちょうど間です。シトラスが落ちていくときフローラルはまだ残っていて、フローラルが落ちるころにはウッディが引き継いでいる。香りの上の接続点であると同時に、時間軸の上の接続点でもあるわけです。
「フローラル × シトラス」と「ウッディ × フローラル」が高頻度の組み合わせになる理由の一部は、両者が揮発曲線の上で隣り合っていることにあります。
途切れない曲線の組み方
実際に組むときは、3つの箱を思い浮かべるより、1本の線を頭に置くほうがうまくいきます。
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手持ちの原料を残香時間順に並べて、空いている区間を探します。私の最初の注文がまさに典型でした。安くていい匂いだからとシトラスばかり何本も、あとはシダーウッドを1本。出来上がった香りは吹いて20分で消え、2時間後に手首から木の匂いだけが立ち上がってきました。あとから数字を並べて、12〜48時間の区間が丸ごと空白だったと気づいたのです。初心者によくある切れ目が、ちょうどこの区間です。
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隣り合う原料の残香時間は2〜3倍差が目安です。10倍空くと穴になります。シトラス28時間からウッディ284時間へ直行すればちょうど10倍。その穴はフローラルかハーバルで埋めます。
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遅い原料は早い段階で入れて試します。トップを納得いくまで作り込んでから最後にベースを足すと、入れた瞬間に全体が変わって作り直しになります。私もこの順番で一度処方をだめにしました。ベースの分子は最初の1秒から揮発していて、あなたが嗅ぐすべての段階を変えています。
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ムエットには時刻を書きます。直後・10分後・1時間後・翌日。良い悪いのメモだけだと、翌週読み返しても何も思い出せません。探すのは空っぽに聞こえる瞬間で、その穴が次に足す原料の位置です。
手放してよい思い込み
「ベースは長く残るほどよい」
240時間を超える原料の多くはムスクやバルサム類です。確かに長く残ります。ただ、長く残ることと中盤を支えることは別の仕事です。シトラスとムスクだけの香水は中盤が空洞で、そして中盤こそ、他人があなたの香りを嗅ぐ時間帯です。
残香時間は原料を並べるための一本の軸です。点数として使うと、処方が重いほうへ傾いていきます。
参考文献
C. Vuilleumier, I. Flament & P. Sauvegrain, Headspace analysis study of evaporation rate of perfume ingredients applied onto skin, International Journal of Cosmetic Science, 17, 61–76 (1995). doi:10.1111/j.1467-2494.1995.tb00110.x
E. Hadjiefstathiou, G. Savary, C. Malhiac, D. Terescenco & C. Picard, Exploring the impact of fragrance molecular and skin properties on the evaporation profile of fragrances, International Journal of Cosmetic Science, 47(6), 981–995 (2025). PMID 40524649
次回は IFRA について。あの制限値が実際に何を制限しているのか、なぜ処方の構造をしばしば変えてしまうのか、そして初心者が本当に気にする必要があるのはどんな場合かを扱います。