原料図鑑 · 93
原料図鑑:アンバーナフトフラン(Cetalox)—— Ambroxan と同じ分子式、違う CAS
· 10 分
CAS 3738-00-9、供給元 31 社。分子式も分子量も logP も推定水溶解度も ambroxan(6790-58-5)と完全に一致し、PubChem の IUPAC 名は冒頭の立体記述子の接頭辞だけが違う。差が出るのは融点範囲で、ambroxan が 74〜75 °C なのに対しこちらは 75〜85 °C。FEMA と欧州評議会は両者に同じ番号(3471、10514)を与えているが、CAS は二つに分けている。データベース自身の備考は「Ambrox replacer」。推奨評価濃度は 10% 以下で、ambroxan の 1% より一桁広い。ただし強度ランクはどちらも 3 になっている。
**要点:**この材料は ambroxan と同じ骨格で、違いは立体化学が指定されているかどうかにある。化学の登録機関は二つの物質として扱い、食品香料規制は一つの物質として扱う。どちらを買うかは融点範囲と供給元数で判断できる。
項目
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| CAS | 3738-00-9 |
| EINECS | 223-118-6 |
| 同義語先頭 | 1,5,5,9-テトラメチル-13-オキサトリシクロ(8.3.0.0.(4.9))トリデカン |
| PubChem 第一同義語 | Cetalox |
| 分子式 | C16H28O、分子量 236.398 |
| データベース分類 | フレーバー・フレグランス成分 |
| 外観 | 無色から淡黄色、液体から固体(推定) |
| 純度 | 96.00 〜 100.00 |
| 融点 | 75〜85 °C(幅 10 度) |
| 沸点 | 102〜106 °C @ 25 mmHg |
| 引火点 | > 100 °C |
| logP | 4.70(推定) |
| 蒸気圧 | 0.009 mmHg @ 25 °C(推定) |
| 水溶解度 | 2.436 mg/L @ 25 °C(推定) |
| 溶解性 | アルコール;水にわずかに;ファインフレグランス 0.5〜5%;シャンプー 微量〜0.5%;キャンドル 微量〜1% |
| 香調タイプ | アンバー |
| 香調 | ドライ、ウッディ、アンバー、竜涎香、ムスク、甘い |
| フレーバー | アンバー、古材のウッディ、タバコ、パウダリー、ドライ、竜涎香、アニマリック |
| 強度 | 高。10% 以下の溶液での評価を推奨(ランク 3) |
| 残香 | > 400 時間(ジプロピレングリコール 10%) |
| 天然での存在 | 自然界にあり。ギリシャ産クラリセージ油 @ 0.10% |
| 供給元 | 31 社 |
| 規制 | JECFA 1240、FEMA 3471、CoE 10514、FLAVIS 13.072 |
| 構造クラス | III |
| 経口毒性 | 未測定 |
| データベース備考 | 「Ambrox replacer」 |
なぜ単独で書くか
ambroxan(CAS 6790-58-5)と項目がほぼ同じで、それでいて自分の CAS を持っているからだ。
二つを並べる。
| ambroxan | この材料 | |
|---|---|---|
| CAS | 6790-58-5 | 3738-00-9 |
| 分子式 | C16H28O | C16H28O |
| 分子量 | 236.398 | 236.398 |
| logP | 4.70(推定) | 4.70(推定) |
| 水溶解度 | 2.436 mg/L(推定) | 2.436 mg/L(推定) |
| 蒸気圧 | 0.009 mmHg(推定) | 0.009 mmHg(推定) |
| 残香 | > 400 時間 | > 400 時間 |
| 強度ランク | 3 | 3 |
| FEMA | 3471 | 3471 |
| CoE | 10514 | 10514 |
上から九行が推定値の小数位まで一致している。
理由は PubChem の IUPAC 名を見ると分かる。6790-58-5 は (3aR,5aS,9aS,9bR)-3a,6,6,9a-tetramethyl-2,4,5,5a,7,8,9,9b-octahydro-1H-benzo[e][1]benzofuran、3738-00-9 は同じ文字列から 冒頭の (3aR,5aS,9aS,9bR)- が抜けたものになる。
同じ骨格。片方は四つの不斉中心を指定し、片方は指定していない。
実際に違う項目は二つ
**融点。**ambroxan は 74〜75 °C で 1 度。この材料は 75〜85 °C で 10 度ある。
純物質の融点は鋭く、混ざり物があると下がって幅を持つ。10 度の融点範囲が示しているのは温度ではなく純度で、立体化学が指定されていないという登録状態と整合する。
**推奨評価濃度。**ambroxan の欄は「1.00% 以下の溶液での評価を推奨」、この材料は「10.00% 以下」。一桁違う。
そして strength_rank はどちらも 3 になっている。
これは覚えておきたい項目の罠になる。**強度ランクが 10 倍の差を平らにしている。**ランクを見て希釈液を作ると一桁ずれる。実際に見るべきなのは文章の中の百分率の方だ。
この 10 倍が測定に基づくのかどうかは分からない。実際の力価の差を反映しているのかもしれないし、二つのレコードを別の年代に別の人が書いた結果かもしれない。データベースはそこまで書いていない。
規制側の食い違い
| FEMA | CoE | JECFA | FLAVIS | |
|---|---|---|---|---|
| ambroxan | 3471 | 10514 | なし | なし |
| この材料 | 3471 | 10514 | 1240 | 13.072 |
FEMA と欧州評議会は同じ番号を与えている。JECFA と FLAVIS はこの材料だけを登録していて、使っている名前は 1,5,5,9-テトラメチル-13-オキサトリシクロ という立体記述子のない表記になっている。
「この二つは同じものか」に対して、化学の登録機関は別と答え、食品香料規制は同じと答える。どちらも間違っていない。問いが違う。
誰が売っているか
31 社。ambroxan は 61 社ある。
面白いのは重なりの方で、12 社が二つの CAS を同時に扱っている。その中には Firmenich と IFF 自身も入っている。一つの会社が両者を同じ製品と見ているなら、二つの品目を並べて置く理由がない。
ほかに 35 社が 6790-58-5 のみ、3 社が 3738-00-9 のみを扱っている。
コーパス
公開処方 954 件のうち、アンバー系エーテルを含むものが 95 件で 10.0%。
cetalox という表記が 27 回(うち 8 回は 10% 希釈の表記つき)、amber naphthofuran は 2 回だけ。処方の書き手は商品名を使っていて、その商品名 Cetalox はデータベース上二つの CAS のどちらにも現れる。この材料と ambroxan の供給元欄の両方から引ける。
使用量の中央値は 0.50%、90 パーセンタイルが 2.00%。
95 件の処方のうち、二種類のアンバー系エーテル表記を併用したものは一件もない。
天然での存在の欄
「ギリシャ産クラリセージ油 @ 0.10%」。
この数字は工業的な製法と符合する。Eichhorn と Schroeder が 2023 年に J Agric Food Chem で (−)-ambrox の製造ルートを総説していて、伝統的な経路の出発点はまさにクラリセージに含まれるジテルペンのスクラレオールで、化学修飾と環化を経る。近年もう一本の経路が加わった。発酵で得た (E)-β-ファルネセンを (E,E)-ホモファルネソールに変換し、改変したスクアレンホペンシクラーゼで酵素環化する。
その酵素経路が生むのは (−)-ambrox、つまり 6790-58-5 の方で、論文はそれを Ambrofix と名指ししている。
酵素は立体構造を選ぶが、化学合成は必ずしも選ばない。二つの CAS が並存している実務上の理由がここにある。
嗅ぐときに
Takase らは 2025 年に Communications Biology で、(−)-ambroxide に応答するヒト受容体 OR7A17 を同定した。同じ論文が、この受容体の機能喪失アレルが集団中に広く存在し、東アジアで特に多いことを報告している。機能を失った型を持つ人でも匂いは感知できるが、あまり快く感じない。
この材料を嗅いで薄いとか何も感じないと思ったなら、まずロットを疑わなくてよい。
(あの論文が測ったのは快さで、二つの立体異性体を識別する能力ではない。)
この記事が立証していないこと
- **私はこの材料を嗅いでいない。**全編がデータベースの項目、PubChem、論文に基づいている。
- **「融点範囲が広い=混合物」は一般則であって、この材料の分析報告ではない。**10 度の幅は複数の立体異性体の共存とも、他の不純物とも整合する。
- **「ラセミ」という語は結論に使っていない。**確認したのは CAS 登録に立体化学の指定がないところまで。流通品の実際の組成の分析データは持っていない。
- 推奨評価濃度の 10 倍差が測定由来か記載由来かは分からない。
- **logP も水溶解度も蒸気圧も推定値。**二つが完全に一致することは同一構造を推す根拠の一つにしたが、推定器の一致は実測の一致ではない。
- **経口毒性の欄は「未測定」。**FEMA と JECFA の番号があるので評価の手続きは存在するが、この欄自体は空になっている。
- **供給元 12 社の重複は名称の文字列照合で得た。**同名だからといって同一の法人とは限らない。
- **Takase 2025 は要約のレベルの集団記述までしか読めていない。**集団別のアレル頻度の具体的な数値は確認していない。