原料図鑑 · 82
原料図鑑:Tonalide(AHTN)——最も議論される多環ムスクだが、最も使われるムスクではない
· 13 分
CAS 21145-77-7。データベースには「musk tetralin」という名前で登録されている。融点53〜54 °Cなので塊で届く。供給元32社、少なくとも5つの商品名が同じ分子を売っている。GHS分類は水生急性毒性区分1と慢性毒性区分1で、この二つを同時に負う香料材料は多くない。ただし資料の数字は環境議論の熱量と一致しない。公開処方954件で、ガラクソライドは表記を合わせて110件、AHTNは17件。前者が後者の6.5倍だ。しかも2023年のゼブラフィッシュ研究では、甲状腺の項目でAHTNのほうがガラクソライドより良い結果になっている。
**短く言うと:**融点53 °Cの塊のムスクで、香料材料には珍しい二重の水生有害性分類を負い、掲示板では溶けにくさで有名。環境データは多いが、資料によれば調香師はガラクソライドよりずっと使っていない。データを読み終えて、私はこれを「より悪い」とも「問題ない」とも書かない。二つの問題は同じマスにない。
欄
| 欄 | 内容 |
|---|---|
| データベース上の名称 | musk tetralin |
| CAS | 21145-77-7 |
| 別名 | Tonalid、Tonalide、Fixolide、Ganolid、Muscofix、AHTN |
| 分子式 | C18H26O、分子量258.40 |
| 融点 | 53–54 °C |
| 沸点 | 393 °C @ 760 mmHg |
| 外観 | 白色結晶固体(推定) |
| logP | 5.30(推定) |
| 水溶解度 | 0.2879 mg/L @ 25 °C(推定) |
| 香調型 | ムスク |
| 香調 | 甘い、アンバー、アンブレット、フルーティ、ムスク、パウダリー |
| 強度 | 中(10%以下の溶液での評価が推奨されている) |
| 残香 | > 400時間(DPG中10%) |
| 天然での存在 | 自然界では見つかっていない |
| 保存期間 | 36か月 |
| 供給元 | 32社 |
| GHS | 急性毒性・経口 区分4 H302/水生急性毒性 区分1 H400/水生慢性毒性 区分1 H410 |
| 経口毒性 | ラットLD50 964 mg/kg |
| 経皮毒性 | ウサギLD50 7940 mg/kg |
残香の欄は、このシリーズの規則どおりに読む必要がある。書かれているのは > 400時間 で、これは下限であって測定値ではない。実際に何時間かは誰も報告しておらず、400時間を超えてまだ残ることだけが分かる。
なぜ塊なのか
掲示板の「大きな塊は粉に砕かなければならず、それからアーノルドより太い二頭筋になるまで撹拌する」の答えは、融点の欄にある。
**53〜54 °C。**室温では結晶固体で、しかも大きな塊に固まるタイプだ。
同じ回のはじめての調香でこの扱い方を書いた。要点は、遅いのが溶解速度であって溶解度ではないこと。logP 5.30の高度に親油性の分子で、エタノールにはよく溶ける。10%の濃度で2日待った人がいるのは速度の話であって、上限に当たったのではない。穏やかな熱と時間が効き、砕くことと撹拌はあまり効かない。
そして融点53 °Cは湯せんが効く理由でもある。融かす必要はなく、溶媒を温めるだけで速度が上がる。
一つの分子に、少なくとも5つの名前
データベースの溶解度欄には供給元のリストが押し込まれていて、この件が露わになっている。
| 供給元が売っている名前 | 誰が |
|---|---|
| Tonalid™ / Tonalide | Berjé、Associate Allied Chemicals、BOC Sciences |
| Fixolide | Augustus Oils |
| Ganolid | Agan Aroma and Fine Chemicals |
| Muscofix | ACS International |
| AHTN | Ernesto Ventós |
同じCAS 21145-77-7に商品名が5つ。そしてデータベース自身は6つ目の名前で登録している。musk tetralinだ。
これは同じ回のはじめての調香が測ったことの具体例になっている。資料で最も使われる120本のうち41本がデータベースで引けないのは、処方が商品名を使い、データベースが化学名を使うからだ。このサイトで「Tonalide」を検索しても空振りする。規則は変わらない。名前ではなくCASを見る。
資料での表記もばらけている。tonalid(13件)、fixolide (musk tetralin)(1件)、acetyl tetralin(1件)、それに完全な化学名で書かれたものが2件。使用量を数えるには、まずこれらをまとめる必要がある。
資料の数字は議論の熱量と一致しない
資料からムスク系の名称をすべて抜き出すと、42種類の異なる表記が得られ、**377件(39.5%)**の処方に現れる。
同じ分子の表記をまとめると。
| 処方件数 | 中央値の比率 | |
|---|---|---|
| ガラクソライド HHCB(galaxolide の各表記) | 110 | 10.00% |
| AHTN(tonalid の各表記) | 17 | 3.77% |
| ムスクケトン | 84 | 4.00% |
| エチレンブラシレート | 59 | 9.57% |
**ガラクソライドの登場回数はAHTNの6.5倍、中央値の使用量も3倍近く高い。**両方を使う処方は3件だけだ。
この差は立ち止まる価値がある。多環ムスクの環境上の論争では、AHTNとHHCBはほぼ必ず一緒に名前が挙がり、AHTNはGHS分類が目を引くために代表として扱われることが多い。ところが実際の処方では、脇役だ。
AHTNと最も同席する材料も、専属の領地がないことを示している。リナロール(12件)、ヘディオン(10件)、酢酸ベンジル(9件)、Vertofix(7件)、ジヒドロミルセノール(7件)。汎用の骨格のリストであって、ある香調の署名ではない。
環境データ:三本、結論は揃わない
この節は慎重に書く必要がある。この材料は「悪いもの」として書かれやすく、データはそこまできれいではないからだ。
一、人体に蓄積する(1996年)。
RimkusとWolfはGC/EI/MSのSIMモードで、ヒト脂肪組織14検体と母乳5検体を測定した。
| 化合物 | 残留濃度 |
|---|---|
| HHCB(ガラクソライド) | 16–189 µg/kg 脂肪 |
| AHTN | 8–58 µg/kg 脂肪 |
少数の検体ではADBI、AHDI、ATIIもより低い濃度で検出された。著者が議論している汚染経路は、これらの親油性化合物が化粧品と洗剤から経皮吸収されるというものだ。
二点に注意したい。AHTNの濃度はHHCBのおよそ3分の1で、資料での使用比率と方向が一致している。そしてこれは1996年のデータで、その後EUの規制も市場も変わっているため、現在の状況として読むことはできない。
二、イガイの排出系を阻害する(2004年)。
Luckenbach、Corsi、Epelは、ニトロムスク(ムスクケトン、ムスクキシレン)と多環ムスク(ガラクソライドHHCB、Celestolide ADBI、Tetralide AHTN、Traseolide AITI)が、カリフォルニアイガイの鰓組織にある多異物排出(mxr)輸送体に及ぼす作用を測定した。
結果は、**試験したムスクはすべて低マイクロモル濃度域で輸送活性を阻害した。**作用の強さはキニジンと同程度で、ベラパミルの約100倍。ムスクケトンとムスクキシレンは、色素を取り込ませた組織からの排出も阻害した。
著者の推論は、これらの化合物は自身が蓄積するだけでなく、本来なら排出されるはずの他の毒物を細胞内に留める「化学増感剤」として働きうる、というものだ。
この論文はAHTNを他のムスクと分けて評点していない。結論は「試験したものはすべて」だ。
三、ただしゼブラフィッシュの甲状腺では、AHTNのほうが良い(2023年)。
三本のうち最も新しく、最も細かい。Chaeらはゼブラフィッシュの胚・仔魚を使い、よく使われる合成ムスク3種を試験した。ムスクケトン(MK)、HHCB、AHTN。HHCBとAHTNの実験濃度は、環境水中で報告されている最大値を含むように選ばれている。
5日間曝露の結果はこうだ。
- **ムスクケトンまたはHHCBは仔魚のT4濃度を有意に低下させた。**0.13 µg/Lという低い水準でも効果が出た。
- **AHTNの曝露はcrhβ、nis、ugt1ab、dio2などの遺伝子を上方制御したが、T4濃度は変化させなかった。**論文の表現は「甲状腺撹乱の可能性がより小さいことを示唆する」。
- **ただし3種とも仔魚の活動性低下を引き起こした。**mbpやsyn2aなど神経発生や発達に関わる遺伝子が下方制御されたが、転写変化のパターンは3種で異なっていた。
著者の結論は、HHCBとAHTNが環境実測値に近い水準でも仔魚の甲状腺ホルモンや行動に影響しうることに注意が要る、というものだ。
**三本を合わせた像はこうなる。**ヒトへの蓄積ではAHTNはHHCBより低く、イガイの排出阻害では両方まとめて挙げられ、ゼブラフィッシュの甲状腺ではAHTNのほうが良く、行動では両方に影響がある。
このシリーズは以前「環境に優しく、ホルモンを撹乱しないムスクが欲しい」という記事を書いた。結論は、データベースで供給元10社以上のムスクの記録36件のうち23件にはGHS欄すらない、というものだった。**AHTNの問題はデータが悪いことではなく、データがあることだ。**大環状ムスクがきれいに見えるのは、一部は誰も測っていないからでもある。
ではGHSのあの二行は
H400とH410(水生急性毒性区分1、慢性毒性区分1)は、香料材料では確かに珍しい。この二行にlogP 5.30と水溶解度0.2879 mg/Lが加わると、言っていることは一つだ。水に溶けず、脂肪と底質に分配し、分解しにくい。
家で調香する人にとっての意味は、正確に書きたい。
- **これは皮膚安全の警告ではない。**経皮毒性の欄はウサギLD50 > 7940 mg/kgで低い。GHSのH302(経口有害)も接触経路の話ではない。
- **これは排出の警告だ。**GHSの注意書きにはP273「環境への放出を避けること」とP391「漏出物を回収すること」がある。洗ったビーカーを流しに空けるのが、その経路になる。
- **ただし一人分の量はごく小さく、この問題の規模は下流にある。**多環ムスクが環境に入る主経路は、洗剤やパーソナルケア製品の大量使用が下水処理場を経て排出されることであって、あなたの5gではない。
個人の使用を環境責任の要として書くつもりはない。それは正直ではない。この欄で知る価値があるのは、売るものを作る場合や、洗浄剤系の賦香をする場合には、この二行が製品に付いて回るということだ。
買うかどうか
- 塊だが安く、拡散がよく、残香400時間超のムスクが欲しいなら、これは応える。供給元32社で入手も難しくない。
- ただし資料では調香師の多くがガラクソライドを選んでいる(6.5倍)。公開処方と接続したいなら、より一般的なのはそちらだ。
- **固体を扱うことになる。**湯せんと時間であって、砕いて撹拌ではない。
- 売るものを作るなら、H400/H410が表示と廃棄に関わるので先に確認する。
- 環境のために置き換えるなら、ガラクソライドへの置換は1996年のヒト残留でも2023年の甲状腺でも改善にならない。このシリーズの立場は変わらない。大環状ムスクがきれいに見えるのは、一部はデータが少ないからだ。
この記事が示していないこと
- Rimkus 1996は標本数が小さく(脂肪組織14検体、母乳5検体)、30年前のデータだ。その後EUの規制も市場も変わっており、現況として読むことはできない。
- **Luckenbach 2004はAHTNを他のムスクと分けて評点していない。**結論は「試験したムスクはすべて阻害した」であり、そこからAHTNが特別に良いとも悪いとも導けない。
- Chae 2023の「甲状腺撹乱の可能性がより小さい」は、同時に試験されたムスクケトンとHHCBとの比較であって「無害」ではない。同じ論文はAHTNが仔魚の活動性を低下させたことも測っている。
- **三本とも曝露評価ではない。**測っているのは効果であって「香水を使う人がどれだけ曝露するか」ではない。そこから個人のリスクへ飛ぶ推論は、私はしていない。
- **17件は非常に小さい標本だ。**中央値3.77%はこの17件に基づいており、区間は広くなる。
- **資料での名称の統合は手作業で行った。**tonalid、fixolide (musk tetralin)、acetyl tetralin、完全化学名の2件を一本にまとめた判断はCASに基づくが、資料そのものにCAS欄はないため、別の表記を取りこぼしている可能性がある。
- **残香の
> 400時間は下限だ。**実際の値は不明である。