原料図鑑 · 17
原料図鑑:青葉アルコール(cis-3-hexenol)— 刈ったその一秒の緑は、じつは植物の警報
· 8 分
CAS 928-96-1、「刈りたての草」の匂いの主役。植物は組織が傷つくか、ストレスを受けてはじめてこの種の分子を大量に作り、植物生態学はそれを植物同士のシグナルとして研究しています。感じ取りやすさには遺伝差もありますが、OR2J3受容体のハプロタイプが説明するのは26.4%だけ。β-イオノンの96%というクリーンな事例とは、スペクトラムの反対側です。高強度、持続4時間、120社。
クマリンの回は、草を刈った日の夕方から始めました。置くほど甘くなる干し草の匂いの話です。本稿は刃が入るその一秒に戻ります。空気に一気に広がるあの緑の主役が、青葉アルコールです。
先に要点
- 青葉アルコールは「刈りたての草」の匂いの本体で、香水のグリーンノートの多くはここから出発します。強度は高く、一滴で処方全体を塗りつぶせます。データベースの推奨は10%以下での評価。
- あの緑を、植物生態学は植物が傷ついたときに放つシグナルとして研究しています。人が嗅いだらどうなるかは別の問いです。文献もそこには答えていません。
- 感じ取りやすさには遺伝差もありますが、見つかっている受容体ハプロタイプの説明力は26.4%。単一変異が96%を説明したβ-イオノンと並べると、受容体遺伝学の両端が見えます。
基本記録
| CAS | 928-96-1 |
| 分子式 | C₆H₁₂O |
| 分子量 | 100.16 |
| 香調 | フレッシュ、グリーン、草、葉、野菜、ハーバル、オイリー、メロンの皮 |
| 香調分類 | green |
| 強さ | 高(10%以下での評価を推奨) |
| 持続性 | 4時間(原液、ムエット上) |
| 比重 | 0.846–0.850(25 °C) |
| 引火点 | 61 °C |
| 推奨保存 | 24か月以上(冷暗所、密封) |
| 収載名簿 | GRAS、JECFA、CoE、FEMA GRAS、IFRA |
ここで見るべき数字は2つ、強さ「高」と持続4時間です。入りが速く、引き際も速い。クマリンの364時間と並べると、芝刈りの匂いの最初から最後までをこの2本で覆えます。香気語の「メロンの皮」は誤記ではなく、うんと薄めた青葉アルコールは本当にメロンの皮のほうへ寄っていきます。
あの緑は何なのか
植物学にはこの種の分子の総称があります:緑葉揮発性物質(green leaf volatiles、GLV)。2006年、Matsui の Current Opinion in Plant Biology 誌の総説が出自を整理しています:
緑葉揮発性物質(GLV)は、オキシリピン代謝のヒドロペルオキシドリアーゼ経路で生成されるC₆のアルデヒド、アルコール、およびそのエステル類である。植物は、組織の破壊の後、また生物的・非生物的ストレスを受けた後に、GLVの生成を開始する。(中略)GLVは植物体内および植物間のシグナル伝達にとって、また植物と周囲の生物が互いを認識し競争するために重要な分子であると提唱されている。
この提唱に従えば、芝生が刈られるときにあなたが嗅いでいるのは、芝生一面がいっせいに放つ傷のシグナルです。健康で無傷の葉はこの分子をほとんど出しません。芝刈り機が通ってはじめて大量に湧き出します。文献が扱っているのは植物の生理と生態であって、「嗅いだ人への効果」はその範囲の外です。私たちもそこへは踏み出しません。
調香に持ち帰れるのはこの対応関係です。あなたの鼻は「組織破壊のあとに現れるC₆分子」を「フレッシュ」として学習してきました。だから処方に少量の青葉アルコールを足すと、全体が「摘みたて、切りたて」へ寄ります。ミュゲ、バイオレットリーフ、イチジクの葉。ああいう調子の下敷きには、たいていこれがいます。
同じ緑を同じ強さで感じるとは限らない
一研究ではOR2J3の変異が葉アルコール検出差の約26.4%を説明しました。植物の警報という本稿の第二主題にはせず、比較は「嗅覚研究が同じ香気分子を使う理由」、ブラインド評価は個人差へ移します。
嗅ぐときは
- データベースの明記は10%以下での評価。私はこれをさらに薄めます。初めて原液をムエットに付けたとき、覚えているのは生のレタスと刺激だけで、「刈った草」本人は1%まで薄めてやっと現れました。
- 持続4時間はトップノート専属という意味です。緑をミドルまで生かしたいなら、バイオレットリーフアブソリュートやガルバナムのような重いグリーンに引き継がせること。
- 用量で仕事が一桁変わります。主役にすると野菜畑、脇役にするとフレッシュ。多くの処方が欲しいのは後者です。
- 組み合わせの定番はフローラル。ミュゲのアコードに0コンマ数%で、花が今朝摘んだものになります。
カタログ上の一族
| 品目 | 何であるか |
|---|---|
| (Z)-3-hexen-1-ol(120社) | 本体、シス-3。一族で最も供給が広い |
| (E)-2-hexen-1-ol(69社) | トランス-2。緑に果実味、青リンゴ寄り |
| (E)-3-hexen-1-ol(15社) | 本体のトランス異性体。緑の切れ味は鈍め |
| (Z)-4-hexen-1-ol(10社) | 位置異性体。供給は少ない |
| 3-hexenyl エステル類(各5社前後) | 青葉アルコールを酸と結んだエステル。緑+果実で、梨や青リンゴの調香で常連 |
同じC₆骨格でも、二重結合の位置と向きが動けば緑の質感も動きます。この一族は名前が非常に似ているので、注文前にZ/Eと数字をよく確認してください。
法規
GRAS、JECFA、CoE、FEMA GRAS、IFRAに収載。これらの名簿は使用上限を示しません。青葉アルコールは法規的に単純な部類です。肌用処方は現行IFRAスタンダードと供給業者規格書を。
買うときは
- 小瓶ひとつで長く持ちます。高強度でトップノート専属、処方中の用量は0コンマ数%の世界です。
- CAS 928-96-1、または名前の (Z)-3/cis-3 を確認して、トランス異性体との取り違えを避けること。
- ついでに1%希釈液を作っておくこと。作業濃度は思っているより低いはずです。
→ データベースの青葉アルコール:全物性、供給業者一覧、推奨の組み合わせ。 → (E)-2-hexen-1-ol|香調で検索:「グリーン 草」で隣人を探せます。
参考文献
J. F. McRae, J. D. Mainland, S. R. Jaeger, K. A. Adipietro, H. Matsunami & R. D. Newcomb, Genetic variation in the odorant receptor OR2J3 is associated with the ability to detect the "grassy" smelling odor, cis-3-hexen-1-ol, Chemical Senses, 37(7), 585–593 (2012). PMID 22714804
K. Matsui, Green leaf volatiles: hydroperoxide lyase pathway of oxylipin metabolism, Current Opinion in Plant Biology, 9(3), 274–280 (2006). PMID 16595187