原料図鑑 · 44
原料図鑑:アントラニル酸メチル(methyl anthranilate)—— グレープソーダの香りは、白い花の中に住んでいる
· 10 分
CAS 134-20-3。香調欄には fruity・grape・orangeflower・neroli が並ぶ。ハクモクレン(チャンパカ)コンクリートに 9.00%、オレンジフラワーウォーターアブソリュートに 2.0〜11.4%、エジプト産ジャスミンアブソリュートに 4.90% 含まれながら、匂いはグレープソーダ。2020 年の研究はコンコードぶどうの「フォクシー」香の遺伝的スイッチをプロモーターの挿入欠失に突き止め、2024 年の研究はぶどう・スイートオレンジ・トウモロコシが同じ分子を別経路でつくることを示した。供給 88 社、残香 88 時間、比重 1.16 で水より重い。
インドールの回では、白い花の中にいる評判の悪い成分を取り上げました。同じ花の中には、もう一つ変わったものが住んでいます。評判は悪くありませんが、花と結びつけるのが難しい。グレープソーダの匂いがするのです。
先に要点
- 香調欄には fruity・grape・orangeflower・neroli の四語が同じ欄に並んでいます。グレープキャンディの匂いとオレンジフラワーの匂いが、別々の原料ではなく同一の分子です。
- 花の中の含有量はインドールより高い。チャンパカコンクリート 9.00%、オレンジフラワーウォーターアブソリュート 2.0〜11.4%、エジプト産ジャスミンアブソリュート 4.90%。あなたが嗅いだネロリの大部分は、これです。
- アメリカのグレープソーダはなぜヨーロッパの食卓のぶどうと違う匂いなのか。2020 年の研究はその答えを一つの遺伝子のプロモーターに求めました。2024 年の研究は、ぶどう・スイートオレンジ・トウモロコシがこの分子をそれぞれ別の経路でつくること、そして植物にとっての本業が葉を食べる動物を追い払うことであることを示しています。
基本データ
| CAS | 134-20-3 |
| 分子式 | C₈H₉NO₂ |
| 分子量 | 151.17 |
| 香調 | フルーティ、グレープ、オレンジフラワー、ネロリ、カビ、フローラル、パウダリー |
| 香調分類 | fruity |
| 強度 | 中 |
| 残香性 | 88 時間(100% 原液で測定) |
| 外観 | 淡黄色〜濃黄色の澄明な液体〜固体 |
| 沸点 | 238.00〜241.00 °C @ 760 mmHg |
| 引火点 | 104.44 °C |
| 比重 | 1.161〜1.169 @ 25 °C |
| 屈折率 | 1.579〜1.592 @ 20 °C |
| 水溶解度 | 2850 mg/L @ 25 °C(実測) |
| 法規収載 | GRAS、JECFA、CoE、FEMA GRAS(2682)、IFRA |
かみ砕くと、注目すべき欄が二つあります。比重 1.16 は水より重いという意味で、水に落とすと沈みます。香料原料では多くありません(たいていは水より軽く浮きます)。もう一つは水溶解度 2850 mg/L、約 0.29% です。多くの香料分子よりかなり高く、水を含む処方でも扱いやすい。
残香性の 88 時間は 100% 原液での測定値です。インドールの回でも触れましたが、測定条件が異なるため回をまたいで数字の大小を比べないでください。
花にどれだけ入っているか
| 由来 | 含有量 |
|---|---|
| チャンパカコンクリート | 9.00% |
| チャンパカ花アブソリュート | 5.15% |
| チャンパカアブソリュート | 4.50% |
| オレンジフラワーウォーターアブソリュート | 2.0〜11.4% |
| オレンジフラワーアブソリュート(モロッコ) | 1.0〜4.3% |
| ジャスミンサンバックアブソリュート(エジプト) | 4.90% |
| ジャスミンコンクリート(イタリア) | 2.86% |
| ジャスミンコンクリート(インド) | 0.39〜0.82% |
| イランイラン油(ジャワ) | 1.55% |
| ナルシスアブソリュート | 0.19%/0.43% |
| スイートオレンジ果皮油(エジプト) | 0.24% |
| イランイラン油 | 0.08% |
| ヒヤシンスアブソリュート | 0.02〜0.03% |
オレンジフラワーウォーターアブソリュートの欄は 2.0% から 11.4% まで、六倍近い幅があります。インドールがネロリアブソリュートで 2.6〜9.9% だったのと同じ状況です。同じ「オレンジフラワー」と書かれた二つのサンプルでも、中身はかなり違います。
花以外にも、同じ欄にはカカオ、コーヒー、グレープフルーツ、レモン、ライム、マンダリン、ブンタン、野生いちご、白ワインと赤ワインが並びます。そして一項目、率直にこう書かれています。concord grape。
アメリカのグレープソーダがあの匂いである理由
ヨーロッパの食用ぶどう(Vitis vinifera)とアメリカのコンコードぶどう(Vitis labrusca)は別の種です。後者には「foxy」と呼ばれる匂いがあります。2020 年、Yang らは《Horticulture Research》でその遺伝的スイッチを突き止めました。
'Concord' は最もよく知られたジュース用ぶどうで、北米種 Vitis labrusca L. を親に持ち、独特の「フォクシー」香を持つ。これは果実中のアントラニル酸メチル(MA)の蓄積に主に由来する。しかしこの香りはワイン消費者からは好ましくない特徴とみなされることが多く、一般的な生食用・醸造用種である V. vinifera ではほとんど感じられない。本研究では、相同性によって誘導されたプロモーターの挿入欠失が、鍵となる「フォクシー」香遺伝子 AMAT の種特異的な調節の主要な遺伝機構であることを見出した。
注目したい点が二つ。一つめ、変わったのは遺伝子そのものではなくプロモーター、つまりその遺伝子をどれだけ働かせるかを決める部分です。同じ酵素は両方の種が持っていて、違いはスイッチの側にあります。二つめ、著者は「好ましくない特徴とみなされることが多い」と書いています。同じ分子が、ソーダの中では子供の頃の味で、ワインの中では欠陥です。好き嫌いは分子の側にはありません。
植物の中では、よい香り以上の仕事をする
2024年の研究はアントラニル酸メチルを抗草食性の防御揮発物とし、葡萄、スイートオレンジ、トウモロコシの生合成経路を比較しました。信号の話は「植物、酵母、ミツバチは同じ香気分子を何に使うのか」へ。本稿には葡萄ソーダと白花を分ける用量の話を残します。
嗅ぐときに
初めてこれでネロリを組んだとき、私は失敗しました。「ネロリの成分だから」と考えて 2% まで入れたところ、グラス全体がグレープソーダになり、ネロリの部分は完全に消えてしまったのです。花の中でのこれの役割は脇役です。脇役を前に出せば芝居は崩れます。
- 0.5% 以下から試してください。グレープの面がオレンジフラワーの面より強く、濃度が上がるとグレープしか残りません。
- 二つの顔を理解するには、ムエットを二枚つくること。1% と 0.05%。濃いほうはグレープキャンディ、薄いほうでようやくオレンジフラワーとパウダリーさが浮かびます。
- 白い花の処方における「フルーティの橋」です。インドールと並べて使うと面白い。インドールはアニマリックの方向へ、これはフルーティの方向へ引っぱります。どちらも同じ花の中にいます。
- 水より重いことは実務で効いてきます。容量(滴数・mL)で量ると重量を過小評価するので、処方は必ず秤で。
法規と安全性
GRAS、JECFA、CoE、FEMA GRAS(FEMA 番号 2682)、IFRA に収載。収載リスト自体に上限値は含まれないため、肌にのせる処方では現行の IFRA Standards とサプライヤーの規格書を確認してください。
食品香料としての使用歴は長い(グレープ味のキャンディやソーダの多くに入っています)。ただし食品用途で安全であることと、高濃度で皮膚に接触して安全であることは、評価の基準が別です。
買い方
- 天然品と合成品の両方があります。天然品はオレンジフラワーや柑橘類から分離されることが多く、価格差は小さくありません。練習段階では合成品で十分です。分子は同じものです。
- 10% 希釈液の最小容量から。供給 88 社と十分にあるので、買いだめは不要です。
- 白い花の系統をそろえるなら、インドール、ジャスミンアブソリュート、酢酸ベンジルと一緒に。四本並べて嗅ぎ終えると、「白い花」はもう漠然とした言葉ではなくなります。
→ データベースのアントラニル酸メチル:全物性、88 社のサプライヤー一覧、推奨の組み合わせ。 → インドール|ジャスミンアブソリュート|香調で検索:「グレープ フローラル」で上位に出ます。
参考文献
Y. Yang, J. Cuenca, N. Wang, Z. Liang, H. Sun, B. Gutierrez, X. Xi, J. Arro, Y. Wang, P. Fan, J. Londo, P. Cousins, S. Li, Z. Fei & G. Zhong, A key 'foxy' aroma gene is regulated by homology-induced promoter indels in the iconic juice grape 'Concord', Horticulture Research, 7(1), 67 (2020). PMID 32337050
M. A. Fallon, H. Tadfie, A. P. Watson, M. M. Dyke, C. Flores, N. Cook, Z. Fei & C. K. Holland, Molecular basis of one-step methyl anthranilate biosynthesis in grapes, sweet orange, and maize, The Plant Journal, 119(5), 2363–2374 (2024). PMID 38976445