はじめての調香 · 1
調香をはじめる最初の10本:入門セットを買う前に読んでほしいこと
· 7 分
市販の入門セットは 2ml が30本という構成が多く、理解が始まる前になくなります。学習期間を通して使い切れる10本を選ぶ理由と、それぞれで何を練習するかをまとめました。
調香を始めたい方から最初に届く質問は、たいてい「何を買えばいいですか」です。ここで気づいておきたいのは、フレグランスホイールではこれに答えられないということ——ホイールが並べているのは完成した香水であり、そのどれもあなたの棚にはありません。よくある答えは入門セット —— 30本、各 2ml、小冊子つき。この答えには問題があります。
2ml で作れる希釈テストは、せいぜい4〜5回。その香料をようやく理解しはじめた頃には、もう空になっています。しかも見栄えのために、数年は使わない素材が混ざっていることも少なくありません。
おすすめしたいのは逆の考え方です。本数を絞り、その代わり「何度も失敗できる量」を買う。 しかも十本という犠牲は聞くほど大きくありません——実働のパレットは数千で、四万二千ではないからです。
なぜ10本なのか
調香の習得で効くのは、一つの香料が濃度や組み合わせでどう化けるかを体で覚えることです。知っている香料の数を増やすのは、あとからでも間に合います。この覚え込みには反復が要り、反復には量が要ります。
10本を各 30ml 揃えると、費用は 2ml × 30本とさほど変わりませんが(30本で何が買えるのかは954件の公開処方で数えた)、できることが違います。
- 濃度階段(1%・5%・10%・30%)を最後まで作れる
- 10本すべてを互いに一度ずつ組み合わせられる(45通り)
- 失敗してもやり直しがきく。私も最初のころ希釈をずいぶん無駄にしましたが、量があったから続けられました
その10本
トップ:シトラス2本、スパイス1本
ベルガモットは、ほとんどのオーデコロンの出発点です。シトラスの明るさ、フローラルの丸み、わずかな苦みを同時に持っていて、「トップからミドルへどう渡すか」の教材として最適。肌に使う用途なら、光毒性の原因となるフロクマリンを除いたベルガプテンフリー(FCF)を選んでください。
レモンはベルガモットとの対照用です。並べて嗅ぐと、「シトラス」が一つの香りではないことがはじめて実感できます。揮発が非常に速いので、「トップはなぜ残らないのか」もこの一本で分かります。
ピンクペッパーを入れるのは、トップを甘さと酸だけで終わらせないためです。乾いた刺激と軽いウッディ。現代的な香水が冒頭に置く「小さな棘」がこれです。
ミドル:フローラル2本、グリーン1本
ローズ:天然のローズオイルは高価なので、最初は合成の再構成(ローズアコード)で構いません。大事なのは、ローズの中に蜜、果実、金属的な質感、紙のような乾いた面が同居していると知ることです。単一の香りだと思って嗅ぐと驚くはずです。
ジャスミンはローズと並ぶ古典フローラルの柱です。含まれるインドールは高濃度では糞便様で、希釈するとあの官能的な花の質感に変わります。初学者がいちばん驚く一課です。良い香りの多くは、原液では良い香りではありません。
バイオレットリーフはグリーンの代表格。「グリーン」とは、植物の茎を折ったときのあの湿った、苦い、冷たい感じのことです。ミントの清涼感とは別物です。
ラスト:ウッド1本、バルサム1本、ムスク1本
シダーウッドは最も安価で使いやすいウッディ。乾いた質感、鉛筆の削りかす、わずかな土。「ラストがトップとミドルをどう支えるか」を練習する一本です。
ベンゾイン(安息香):甘さ、樹脂、バニラ的な温かさ。調香で言う「甘い」の正体は砂糖の甘さとは別のもの、樹脂やバルサムの温度なのだと、これを嗅ぐと腑に落ちます。
ホワイトムスク(ガラクソライドなど):ほとんど嗅ぎ取れないことに、まず気づくはずです。それが要点です。ムスクの仕事は他の素材を伸ばし、角を取ること。単体で嗅いでも得るものは少ないので、処方に入れた版と入れない版を作って比べてください。
もう一本:無水エタノール
厳密には香料ではありませんが、これがないと何も始まりません。消毒用アルコールは避けてください。変性剤に匂いがあります。日本では薬局で無水エタノールが入手できます。
なお、香水を製造・販売する段階では酒税法上の扱いが関わります。個人が自分で試す範囲と、商品として出す場合とでは要件が変わるため、販売を考えはじめた時点で確認してください。
調香を始める前に、まずこれを
何かを混ぜる前に、10本それぞれの濃度階段を作り、ムエット(試香紙)で毎日一度、一週間嗅いでください。私はムエットの端に時刻を書き込む癖をつけています。翌日に嗅ぎ直すとき、これがないとどれがどれだか分からなくなるからです。
記録するのは3点だけです。
- つけた直後の印象
- 10分後にどう変わったか
- 翌日、何が残っているか
この一週間は、記事を10本読むより確実に効きます。繰り返し嗅いだものだけが記憶に残るからです。
なぜ30本ではないのか — 同定には3つの条件が要る
この言い方には文献の裏付けがあります。1979年、Cain は Science 誌で匂いの同定に関する研究を整理し、簡潔な結論を出しています。
匂いの同定が成功するかどうかは、次の3つに依存する。
- 日常的に出会う物質であること
- 匂いとその名前との間に長期にわたって築かれた結びつきがあること
- その名前を思い出す助けがあること
このうちどれか一つでも欠ければ成績は劇的に損なわれるが、三つが揃えば数十種類の物質を難なく同定でき、成績の上限は刺激そのものの紛らわしさによってのみ決まるように見える。
この3条件を、2 mL入り30本のキットに当ててみます。
| Cain の条件 | キットの実態 |
|---|---|
| 1. 日常的に出会う物質 | 30本の半分は二度と買わない |
| 2. 匂いと名前の長期的な結びつき | 各2 mL。数回嗅げば終わり、結びつきが育つ前に消える |
| 3. 名前を思い出す助け | 小冊子は一度見たらしまわれ、嗅いでいる最中には手元にない |
3条件とも満たしません。30 mL入り10本なら3つとも満たせます。同じ10本に繰り返し出会い、量は数か月の反復を支え、名前は瓶とノートの見える場所に書いておけます。
「少なく買い、しかし十分な量を買う」は節約の方便ではありません。同定が成立する条件に合わせた設計です。
法規について
ここで挙げた素材のうち、ベルガモット(光毒性)、ジャスミンのインドール類、一部のムスクは IFRA スタンダードの対象です。自分で試す、ムエットで嗅ぐだけなら制限を受けません。ただし肌につける、人に渡す、販売するのであれば、最新版の IFRA スタンダードで使用量を確認してください。
こう書くと脅しに聞こえるかもしれませんが、これらの制限は処方の骨格そのものに影響することが多いのです。組み上げてから作り直すより、先に知っておくほうが楽です。
参考文献
W. S. Cain, To know with the nose: keys to odor identification, Science, 203(4379), 467–470 (1979). PMID 760202