はじめての調香 · 11
溶剤は背景ではない — DPG・エタノール・IPM・TECの選び方と、嗅ぐ順番が入れ替わる理由
· 11 分
DPG、IPM、TECはいずれも匂いの強さが「なし」と記録されています。つまり「溶剤が匂う」という反論はおおむね的外れです。本当の効果は放出のほうにあります。エタノールは物質移動係数を変え、しかも揮発曲線全体を平行移動させるのではなく、どの成分が先に来るかを組み替えます。さらに763件の原料には0.01%から50%まで、5000倍の幅で推奨評価濃度が記録されています。
原料をDPGで10%に希釈すると、濃度と媒体が同時に変わります。媒体は空白の背景のように扱われがちですが、実際には分子の放出速度を変え、各成分が現れる順番まで入れ替えることがあります。
まず、半分だけ正しい反論を片づける
初心者がいちばんよく聞く反論は「溶剤には匂いがあるから判断を邪魔する」というものです。この主張は半分間違っており、しかも間違っているのは実際に使う側の半分です。
当社データベースの記録は次のとおりです。
| 溶剤 | 匂いの強さ | 香気語 |
|---|---|---|
| ジプロピレングリコール(DPG) | なし | 記録なし |
| ミリスチン酸イソプロピル(IPM) | なし | 記録なし |
| クエン酸トリエチル(TEC) | なし | 記録なし |
| フタル酸ジエチル(DEP) | なし | 記録なし |
| プロピレングリコール(PG) | なし | odorless と記録 |
| エタノール | 中 | alcoholic;ethereal;medicinal |
| 安息香酸ベンジル(BB) | 低 | sweet;balsamic;oily;herbal;floral;fruity |
| ベンジルアルコール | 中 | floral;rose;phenolic;balsamic;sweet |
つまり、希釈液に使う側(DPG、IPM、TEC、DEP)には匂いの記録がまったくありません。「溶剤が香りを覆い隠す」は、これらには当てはまりません。匂いが無いことは交換できることを意味しません。DPGとIPMは四つの数字がすべて両極にあります。
しかしエタノールにははっきり匂いがあり(強さ中、alcoholic/ethereal/medicinal)、安息香酸ベンジルに至っては明確に香料です(甘い、バルサム、油、ハーバル、フローラル、フルーティ)。持続性は322時間と記録されています。BBを中性の溶剤のつもりで使うと、気づかないままバルサム調の保留剤を処方に加えることになります。エタノール自体を何度で使うかについては、データベースの「1:1.5 in 50% alcohol」が別のことを言っています。
では、標準的な希釈剤に匂いがないなら、問題はどこにあるのか。
本当の効果は匂いではなく放出にある
香気分子をどう手放すか、そこにあります。
2008年、Tsachaki らは Journal of Agricultural and Food Chemistry 誌で、機構モデルを用いて17種類の香気化合物の物質移動係数を、不活性ガスで希釈されたヘッドスペースへの放出について算出しました。比較対象は純水と、エタノール120 mL/Lを含む水溶液です。
結果は、エタノール/水溶液のほうが純水より物質移動係数が高いというものでした。理由は2つ。移動そのものの改善と、分配係数の変化です。熱画像では両系で対流のパターンが明確に異なることが観察され、エタノールが液相内部の混合を促進していることが示されました。
調香にとって重要な細部がひとつあります。平衡状態と動的状態では結果が逆を向きうる、という点です。密閉容器で平衡に達したヘッドスペースと、絶えず蒸発し空気に運び去られていくムエットとは別物です。ムエットは動的な系です。上記の研究が測定したのはまさに動的条件であり、毎分1〜3回の置換速度において、エタノールの存在が揮発物濃度を平衡値付近に保つのを助けることを見いだしています。
これは食品科学の研究であり、調香の研究ではありません。 系は水/エタノール溶液であって純溶剤ではなく、測定は機器のヘッドスペースであってムエットではありません。機構は移転できます(溶剤は分配係数と物質移動を通じて放出を変える)が、数値は移転できません。 効果が実在することを示すために引用しているのであって、値を借りるためではありません。
しかも曲線全体が平行移動するわけではない
溶剤が単に全体の放出を速くしたり遅くしたりするだけなら対処は簡単です。量を調整すればよい。現実はもっと厄介です。
2019年、Muñoz-González らは Molecules 誌で、10名の被験者に3段階のエタノール濃度(0.5%、5%、10% v/v)のロゼワインで口をすすいでもらいました。ワインには6種類のフルーティなエステル(酪酸エチル、酢酸イソアミル、吉草酸エチル、ヘキサン酸エチル、オクタン酸エチル、デカン酸エチル)が添加され、すすいだ後の0分と4分の2時点で口腔内の香気放出を測定しています。
効果は時点によって割れました。
- すすいだ直後(0分)は、エタノールが高いほど揮発性の高い化合物はよく出て、揮発性の低い化合物はむしろ減った。
- 4分後には6種類すべてのエステルで放出が増えた。
著者らは、効果の程度が被験者・エタノール濃度・化合物の種類の3つに左右されると結論しています。
溶剤がやっているのは、要するに組み替えです。誰が先に出て、誰が後に出て、誰が持続するか。その並びが変わり、変わり方は人によって違います。揮発曲線の回で「曲線は人それぞれ」と述べましたが、ここでは変数を溶剤に替えて同じことが起きています。
だから「同じ原料でもDPG中とエタノール中では別物」は、文字どおりに受け取ってください。この2つの研究が揃って指し示す結論です。
では濃度はいくつにすべきか
初心者がいちばん数字を欲しがる問いですが、当社データにはあまり注目されていない欄があります。
匂いの強さが記録されている2,251件の原料のうち、763件(33.9%)には推奨評価濃度が明示されています。「X%以下の溶液で嗅ぐことを推奨」という形式です。
| 推奨濃度 | 件数 |
|---|---|
| 50%以下 | 12 |
| 20%以下 | 1 |
| 10%以下 | 498 |
| 5%以下 | 4 |
| 1%以下 | 195 |
| 0.1%以下 | 44 |
| 0.01%以下 | 9 |
0.01%から50%まで、5000倍の幅があります。
そして強さの評価と強く一致します。
| 匂いの強さ | 最も多い推奨濃度 |
|---|---|
| 非常に強い(very high) | 0.1%以下 または 0.01%以下 |
| 強い(high) | 1%以下 |
| 中程度(medium) | 10%以下 |
限界を2つ明示します。 第一に、これは部分集合です。供給情報のある21,494件のうち匂いの強さの値を持つのは2,251件だけで、「33.9%」はその2,251件の中での割合であり、全体には一般化できません。第二に、この推奨は出典の編纂者による業界慣行であって測定値ではありません。専門的な評価の実務を反映したものであり、実験で求めた閾値ではありません。
それでも方向ははっきりしています。10%が既定値だが、3分の1近くの原料はそれより薄くする必要がある。 私自身、最初にそろえた原料を全部同じ濃度で希釈して、強いものが刺激ばかりで細部の読めない液になった経験があります。すべてを一律10%で評価していると、0.1%であるべき原料は永遠に「きつくて細部が分からない」と読めてしまう。その読みは濃度の選び方が作った見かけで、原料に罪はありません。
4種類の選び分け
| 溶剤 | 揮発性 | 自身の匂い | 向く用途 |
|---|---|---|---|
| DPG | ほぼ不揮発 | なし | 評価用希釈の既定値。 安価、無臭、溶解範囲が広い |
| エタノール(95%) | 高い、飛んでいく | 中(最初の数分) | 完成品と処方の希釈。 完成品がアルコール基剤なら評価もエタノールで |
| IPM | ほぼ不揮発 | なし | 油性の完成品、肌に触れるもの |
| TEC | ほぼ不揮発 | なし | DPGで溶けないときの代替。完成品にも使用 |
| 安息香酸ベンジル | 低い | 低いが確実にある(バルサム調) | 中性の溶剤ではない。 保留剤という原料として扱う |
「ほぼ不揮発」について。 DPG、IPM、DEPはいずれも持続性400時間と記録されています。しかし400はこの欄で**最も多く現れる単一の値(全体の18.5%)**であり、測定結果ではなく慣行上の目盛りの上端です。揮発曲線の回で、この欄の分布が丸められた区切り値に支配されていることをすでに確認しました。「試験の時間尺度では有意に蒸発しない」と読むべきで、「ちょうど400時間」ではありません。
実務上の5つの規則
-
評価用の希釈にはDPGを使う。完成品がアルコール基剤である場合を除く。無臭で不揮発、原料そのものを判断しているあいだ余計な口を挟みません。
-
完成品が使う溶剤で、最終評価を行う。DPG中で完璧に均衡した処方も、エタノールに入れれば並び替わります。2番目の研究の直接の帰結です。この手順は省けません。
-
溶剤と濃度は記録の必須欄として扱う。評価記録の回で示した書式にはすでに両方の欄があります。本稿はその理由です。この2欄がなければ「サンダルウッド:温かい、ミルキー」という行は他のどの記録とも比較できません。
-
溶剤をまたいで比較しない。同じ原料のDPG 10%とエタノール10%の評価結果は、条件の異なる2つの記録です。1つの原料を2回測ったことにはならないので、別々に読んでください。
-
エタノール溶液には時間を与える。作りたてのエタノール希釈液は最初の数分、はっきりしたアルコールのトップを持ちます(上表の「中」がそれです)。静置するあいだに成分間の均衡も動きます。評価まで最低24時間。完成処方なら、ふつうはもっと長く置いてください。
溶剤は原料を載せて運ぶ盆ではなく、テーブルそのものです。 テーブルを替えれば同じ料理でも出てくる順番が変わります。そして調香において、順番こそが作品です。
参考文献
M. Tsachaki ほか, Effect of ethanol, temperature, and gas flow rate on volatile release from aqueous solutions under dynamic headspace dilution conditions, Journal of Agricultural and Food Chemistry, 56(13), 5308–5315 (2008). PMID 18529063
C. Muñoz-González, M. Pérez-Jiménez, C. Criado & M. Á. Pozo-Bayón, Effects of ethanol concentration on oral aroma release after wine consumption, Molecules, 24(18), 3253 (2019). PMID 31500122
次回は保留について。保留剤が実際に何をしているのか、なぜ「ムスクを入れれば持つ」がたいてい間違いなのか、そして低揮発性の原料が尾だけでなく曲線全体をどう作り変えるのかを扱います。