原料図鑑 · 114
原料図鑑:アンブレイン(ambrein)—— 龍涎香の主成分、サプライヤー2社、そして備考欄がクジラを間違えている
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CAS 473-03-0、C30H52O、サプライヤー2社。龍涎香の主成分であり、アンブロキサンの上流でもある。Moser 2020 は直接こう書いている——(+)-アンブレインが酸化分解すると数種の香料分子が生じ、その中に香水業界で最も高価な化合物のひとつ (−)-アンブロックスがある。物性は極端だ。logP 9.60、沸点495 °C、水溶解度 6.9×10⁻⁷ mg/L。そしてデータベースの備考欄は「sperm blue whale の腸分泌物から」と書いている——マッコウクジラとシロナガスクジラは別の種で、学名も綴りが間違っている。同じデータベースの龍涎香関連10件のうち、確定した物質を指す CAS を持つのは2件だけだ。
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要点
- 名称:ambrein(アンブレイン)、CAS 473-03-0、EINECS 207-460-3
- 分子式 C30H52O、分子量 428.74——トリテルペンアルコール
- 香調タイプ:amber;香調:龍涎香、ラブダナム、アンバー、ウッディ
- 強度:中、ランク2;残香400時間(100%で)
- 物性が極端:logP 9.60、沸点 495–496 °C、水溶解度 6.9×10⁻⁷ mg/L
- サプライヤー:2社
- 腹腔内マウス LD50 7500 mg/kg(1992年《Japanese Journal of Pharmacology》)
occurrence:ambergris
これはアンブロキサンの上流だ
Moser らが2020年に《Yeast》で書いた冒頭が関係を明確にしている。
トリテルペノイド (+)-アンブレインは龍涎香の主成分であり、龍涎香はマッコウクジラの糞石で、海岸で稀にしか見つからない。(+)-アンブレインが酸化分解すると数種の香料分子が生じ、その中に香水業界で最も高く評価される化合物のひとつ (−)-アンブロックスがある。
つまり「龍涎香の匂い」はアンブレインそのものの匂いではなく、それが酸化されたあとの生成物の匂いだ。
あの論文はこの経路を酵母に移した仕事だ。出芽酵母で細胞内のスクアレン供給を強化し(N末端を切った HMG-CoA 還元酵素 tHMG とスクアレン合成酵素 ERG9 を過剰発現)、同時に実験的に定めた量のテルビナフィンでスクアレンエポキシダーゼ(ERG1)を阻害して、スクアレンがエルゴステロール側へ流れるのを減らしつつ、細胞が生存・生育できるだけの活性は残した。そのうえで巨大菌 Bacillus megaterium のテトラプレニル-β-クルクメン環化酵素の雑多性変異体(BmeTC-D373C)を異種発現している。
テルビナフィンの使い方に注目してほしい。ERG1 をノックアウトするのではなく部分的に阻害する——完全に止めると細胞が生きられないからだ。代謝工学ではよくあるトレードオフで、それが抄録にはっきり書かれている。
(発酵で香料を作る話は〈発酵で作られる香料〉にまとめ、アンブロキサン本体は〈原料図鑑:アンブロキサン〉にある。この記事はその経路の出発点の話だ。)
データベースは匂いがあると言い、文献の枠組みは少し違う
ここがいちばん慎重に扱うべきところだった。
**データベースは完全な匂いの欄を与えている。**香調タイプ amber、香調は「龍涎香、ラブダナム、アンバー、ウッディ」、強度「中」、残香400時間、匂いの記述欄は「at 100.00%:amber ambergris labdanum woody」。
**一方で文献の枠組みは「アンブレインが酸化分解して香料分子が生じる」**であり、この言い方はアンブレイン自体がその匂いの源ではないことを含意している。
2つは必ずしも矛盾しない。分子量428、logP 9.6、沸点495 °C のトリテルペンアルコールは蒸気圧が極めて低く、そもそも強い匂いを持ちにくい。しかも空気中に置けば徐々に酸化するので、「アンブレインを嗅ぐ」ときに嗅いでいるものの一部は分解生成物かもしれない。
**だが欄からその2つを分けることはできない。**だからどちらか一方を選ばず、両方をここに書いている。
(材料の匂いの記述が実は「それとその分解物」であることはリナロールの記事にも出てきた。あちらは酸化で感作性が上がる話だった。)
2007年の論文は誘導体を10個作った
Shen らは2007年に《Journal of Natural Products》で、龍涎香からアンブレインを単離し、化学変換で新しい誘導体を10個作った。
方法自体が読みどころだ。酸化と/または環化を、二酸化セレン、p-トルエンスルホニルクロリド、あるいは短波紫外光で起こしている。構造は分光解析で決め、うち1つの構造と相対配置は単結晶X線回折で確認した。
「短波紫外光」がとくに面白い——それは龍涎香が海を漂う間に実際に浴びるものだ。この論文が実験室でやった酸化環化は、龍涎香が海面で何年も日光と空気に処理されるのと同類の反応だ。
その後、これらの化合物のヒト癌細胞株4種に対する細胞毒性と、ヒト好中球機能に対する抗炎症活性が評価されている。そこは香水と無関係なので詳細は書かない。
10件の記録、本物の CAS は2つ
データベースで名前に ambergris か ambrein を含む記録は10件ある。
| 記録 | CAS | サプライヤー | 香調タイプ |
|---|---|---|---|
| ambergris specialty | 無し | 26 | amber |
| ambergris naphthol | 41199-19-3 | 10 | amber |
| 龍涎香チンキ(FEMA 2049) | 8038-65-1 | 8 | amber |
| 龍涎香チンキ代替品 | 無し | 3 | animal |
| ambreine specialty | 無し | 2 | amber |
| ambreine fragrance | 無し | 2 | amber |
| アンブレイン(本稿) | 473-03-0 | 2 | amber |
| ambergris fragrance | 無し | 2 | amber |
| ambergris natural | 8038-65-1 | 1 | marine |
| 龍涎香抽出物 | 84836-94-2 | 0 | — |
確定した分子を指す CAS を持つのは2件だけ——アンブレイン(473-03-0)と ambergris naphthol(41199-19-3、合成物)。8038-65-1 は天然物の番号で、5件には CAS が無い。
**そして 8038-65-1 の下の2件は香調タイプが違う。**チンキは amber(龍涎香、スイート、ドライ、アンバー、ウッディ、モッシー)で、「ambergris natural」は marine(龍涎香、アニマル、マリン、海辺)。同じ CAS、2つの香調タイプ——全庫で CAS を共有する組の 35.6% がこうなっている。
ついでに、**龍涎香チンキの assay 欄は「20.00 から 100.00」**だ——80ポイントの幅で、チンキの濃度は売り手が決めるものだからそうなる。強度欄が「低」でランク1なのも辻褄が合う。
備考欄がクジラを間違えている
アンブレインの notes 欄。
「分解したトリテルペン。アンブレイン、コレステロール、安息香酸が龍涎香の主成分である。sperm blue whale(pyseter carodon)の腸分泌物より。」
ここには問題が2つある。
- **「sperm blue whale」という動物はいない。**マッコウクジラ(sperm whale, Physeter macrocephalus)とシロナガスクジラ(blue whale, Balaenoptera musculus)は別の種だ。龍涎香はマッコウクジラから来る。
- 「pyseter carodon」は綴りが間違っている——Physeter catodon、マッコウクジラの古い学名/同義名のはずだ。
同じデータベースの龍涎香チンキの記録では、TSCA の定義が正しく書かれている。「マッコウクジラの腸から得られる、不規則な形の灰色でワックス状の不透明な塊。主にコレステロール、アンブレイン、安息香酸からなる。」
**粗探しをしたいのではない。備考欄が自由記述で品質が一定でないことを示したいのだ。**この連載で備考欄を引くときは常に手がかりとして扱い、事実としては扱わない——〈Veramoss〉がもう1つの例で、あちらはデータベースが「自然界に存在しない」と書いていて、それが誤りだった。
使い方(もし本当に手に入るなら)
- サプライヤー2社は研究用グレードの入手性であって、処方材料ではない。
- **龍涎香の効果が欲しいなら アンブロキサンを使う。**実際に使われている分子で、61社ある。
- **logP 9.60 は水にほぼ溶けないことを意味し、エタノールでも良くはない。**溶解度欄は alcohol と水しか挙げず、後者は 6.9×10⁻⁷ mg/L、つまり不溶だ。
- 沸点495 °C、残香400時間——逃げないが揮発もしない。「嗅ぎ取れる」と「そこに留まる」は別のことだ。
この記事が立証していないこと
- **嗅いだことはないし、龍涎香も嗅いでいない。**全文が欄と全庫統計と論文2本でできている。
- **データベースは匂いがあると言い、文献の枠組みは匂いが分解物から来ると言う。どちらが正しいかは判定できない。**両方を並べており、それがこの記事の最大の不確かさだ。
- Moser らの論文は酵母でアンブレインを作る工学であって匂いの研究ではない。引用しているのはアンブレインとアンブロックスの関係についての記述だ。
- **Shen らの細胞毒性と抗炎症の結果は書いていない。**薬理学の範囲で香水と無関係だし、私にはあのデータを評価する能力が無い。
- 「備考欄が間違っている」は学名と照合した私の判断で、その一文の出所は調べていない。
- 10件の表は名称のキーワード(ambergris/ambrein)で引いたもので、別の命名は拾えていないかもしれない。
- 龍涎香の入手は保全と各地の規制に関わる(マッコウクジラは CITES の対象で、海岸の漂着物の扱いは国によって違う)。この記事はその層をまったく扱っていない。買う前に自分の地域の規定を確認してほしい。