原料図鑑 · 19
原料図鑑:γ-デカラクトン — 桃の皮のクリーミーさと、熟していく匂いの引き継ぎ
· 9 分
CAS 706-14-9、ピーチ調の中核ラクトン。2010年の研究は果実が熟すときの引き継ぎを測定しました:緑葉揮発性物質が退場し、ラクトンが登場する。γ-デカラクトンは熟期後半の主要揮発成分です。「天然」表示の品の多くは酵母がヒマシ油のリシノール酸を発酵する経路から来ており、1998年の研究は酵母が自分の産物を食べてしまうことも見つけました。111社、持続256時間。フルーティ系では珍しいベースノート材です。
青葉アルコールの回は、刈ったその一秒の緑の話でした。本稿はその緑が舞台を降りたあとの話です。桃が熟して、次は誰が出てくるのか。桃に何が入っているかと、桃を作るのに何が要るかは、別の二枚のリストだ。
先に要点
- γ-デカラクトンは桃の皮のクリーミーでワキシーな香りの主役。持続256時間、フルーティ系では珍しいベースノート材です。 強さは中程度で扱いやすい。
- 桃の熟成は匂いの引き継ぎです。刈り草側の緑葉揮発性物質が退場し、ラクトン一族が登場する。2010年の研究がこの曲線を測りました。
- 市場で「天然」と表示された桃ラクトンの多くは、酵母がヒマシ油を発酵する経路から来ます。分子は合成品と同一で、身分と価格差は規格書に書いてあります。
基本記録
| CAS | 706-14-9 |
| 分子式 | C₁₀H₁₈O₂ |
| 分子量 | 170.25 |
| 香調 | フレッシュ、オイリー、ワキシー、桃、ココナッツ、バター、甘い、フルーティ、クリーミー |
| 香調分類 | fruity |
| 強さ | 中 |
| 持続性 | 256時間(原液、ムエット上) |
| 比重 | 0.950–0.955(25 °C) |
| 引火点 | 93 °C |
| 推奨保存 | 24か月以上(冷暗所、密封) |
| 収載名簿 | GRAS、JECFA、CoE、FEMA GRAS、IFRA |
フルーティ系の原料はたいてい足が速いので(青葉アルコールは4時間、バナナのエステルも同程度)、256時間のこれは一族の変わり者です。「桃」をベースノートまで運べます。香気語の「ココナッツ」「バター」はそのまま受け取ってかまいません。ラクトン一族では桃とココナッツはもともと表裏一体です。
熟していく匂いの引き継ぎ
2010年、Zhang らは桃(品種・玉露)の収穫後20 °Cでの熟成を追い、香気成分を熟成の経過に沿って測定しました:
n-ヘキサナール、(E)-2-ヘキセナール、(E)-2-ヘキセノール、(Z)-3-ヘキセノールの濃度は低下し、一方で (Z)-3-ヘキセニルアセテート、γ-ヘキサラクトン、γ-オクタラクトン、γ-デカラクトン、δ-デカラクトンの生成は熟成とともに増加した。ラクトン類はエチレン生成のクライマクテリック上昇と同調する明瞭なパターンを示し、γ-デカラクトンは熟期後半の主要揮発成分だった。
低下リストの (Z)-3-hexenol は前回の青葉アルコールです。青い桃が葉っぱの匂いなのは、緑葉組がまだ舞台にいるから。完熟になるとラクトンが引き継ぎ、「桃の匂い」が本当に揃います。果物屋の店先で香りで桃を選ぶとき、鼻がやっているのはこの引き継ぎ曲線を読むことです。
調香ではこの曲線をそのまま写せます。未熟な桃を作るなら緑を残す、かじると果汁が垂れる桃を作るならラクトンを上げる。同じ桃から、処方は2つ。
「天然」の桃は酵母が醸す
γ-デカラクトンは桃に天然に存在しますが、含量が低すぎて果実から抽出する人はおらず、市場は酵母発酵で回っています。ここまでは業界の常識です。1998年に Pagot らが研究したのが、まさにその発酵経路:酵母 Yarrowia lipolytica がヒマシ油のリシノール酸をペルオキシソームβ酸化にかけ、この「桃様の香気化合物」へ変えます。彼らはもうひとつ微妙なことも見つけました。酵母はγ-デカラクトンを作りながら食べもする。試験した菌株はすべて自分の産物を消費し、収量は合成と分解の釣り合いで決まりました(β酸化がこのラクトンの分解代謝にも関与する、というのが論文の結論です)。
発酵で作った分子は化学合成品と同一ですが、発酵経路の製品は多くの法規枠組みで「天然香料」を名乗れて、値段もひとつ上の段になります。初めて価格を見比べたとき、同じCASで数倍違うのにしばらく画面を見つめました。どちらを買うかはあなたの立ち位置次第です。オールナチュラルの製品線ならこのプレミアムを払う理由があり、練習と一般の処方なら合成品で十分。ロット差の回の判断を、ここでもう一度使います。
同じ分子を別の工程で作ると何が同じで何が変わるのかは、「香料も酵母で醸せるのか」で整理しています。
嗅ぐときは
- 中程度の強さで、10%希釈での評価が快適です。原液はオイリーでワキシーに寄り、桃は薄めてから前に出てきます。
- γとδは桃の2つの質感です:γ-デカラクトンは桃の皮のバター感側、δ-デカラクトンはよりクリーミーで、ホイップクリームとココナッツへ寄ります。2本並べて一度嗅げば、次からどちらへ手が伸びるか分かります。
- 1%を切ると「桃」から「柔らかさ」へ退きます。果物らしさのないフローラルやホワイトムスクの処方にも、低用量のラクトンがよく隠れています。
- 酢酸ベンジルと合わせれば、フルーティな白い花の初手になります。
カタログ上の一族
| 品目 | 何であるか |
|---|---|
| gamma-undecalactone(119社) | 炭素11の版。商慣習名「aldehyde C-14」。より甘く、よりアプリコット |
| gamma-decalactone(111社) | 本体:桃の皮のバター感 |
| delta-decalactone(104社) | δ版。よりクリーミーで、ココナッツが前に出る |
| delta-dodecalactone(92社) | 炭素12のδ版。より厚いクリーム |
| gamma-octalactone(92社) | 炭素8の版。ココナッツとキャラメル寄り |
| gamma-dodecalactone(82社) | 炭素12のγ版。桃がムスキーなワックスへ寄る |
ついでに古い罠をひとつ解除しておきます。gamma-undecalactone の通り名は aldehyde C-14 ですが、アルデヒドではなくラクトンです。業界の通説では香水業界の初期の付番習慣の名残とされ、当社データベースのカタログ名にも「(so-called)」と注記されています。「C-14」を見たら、名前から構造を推測せず、まずCASを確認すること。
法規
GRAS、JECFA、CoE、FEMA GRAS、IFRAに収載。これらの名簿は使用上限を示しません。ラクトン類は法規的に単純な部類です。肌用処方は現行IFRAスタンダードと供給業者規格書を。
買うときは
- γ-デカラクトンとδ-デカラクトンを小瓶で1本ずつ。並べて嗅いでから主力を決めること。
- 規格書の「natural」表示とCASを読むこと。発酵品と合成品は同じCASで値段が大きく違います。払っているのがどちらか確認を。
- 中程度の強さで刺しはしませんが、256時間級の残留です。ムエットは1週間付き合ってくれます。
→ データベースのγ-デカラクトン:全物性、供給業者一覧、推奨の組み合わせ。 → gamma-undecalactone|delta-decalactone|香調で検索:「桃 クリーミー」で隣人を探せます。
参考文献
B. Zhang, J.-Y. Shen, W.-W. Wei, W.-P. Xi, C.-J. Xu, I. Ferguson & K. Chen, Expression of genes associated with aroma formation derived from the fatty acid pathway during peach fruit ripening, Journal of Agricultural and Food Chemistry, 58(10), 6157–6165 (2010). PMID 20415420
Y. Pagot, A. Le Clainche, J.-M. Nicaud, Y. Waché & J.-M. Belin, Peroxisomal beta-oxidation activities and gamma-decalactone production by the yeast Yarrowia lipolytica, Applied Microbiology and Biotechnology, 49(3), 295–300 (1998). PMID 9581293