はじめての調香 · 21
紙の上では強いのに、二歩下がると消える——拡散は保留剤を足して作るものではない
· 13 分
フォーラムで議論があった。拡散は保留剤の使い方で決まるという側と、その意味での保留剤は神話だという側。データベースで蒸気圧と持続の両方の記録を持つ1,319本を計算したところ、両対数の相関係数は −0.625、四分位の階段は完全に単調で、最も揮発しやすい群の持続中央値は4時間、最も揮発しにくい群は216時間だった。さらに意外なことに、0.01%まで希釈しないと評価できないほど強い材料こそ、蒸気圧の中央値が最も高い。
r/DIYfragrance に、ごく基本的なことをめぐる議論があった。
拡散をどう作るかと問われて、ある返信はこう答えた。鍵は保留剤の使い方を学ぶことにある。香水が部屋に広がるかどうか、どれだけ持つかを決めるのはそこだ。精油のブレンドに Iso E Super、ガラクソライド、バニリンなどを加えてみるとよい、と。
別の返信がはっきり否定する。あなたの言う意味での保留剤は神話になる。学んで身につけ、加えれば香水に拡散を付与できるようなものは存在しない。
この論争はデータで決着がつく。
このスレッドについての断り。 元の投稿は複数の利用者から AI 生成だと指摘されている。最上位の返信(62点)がまさにそれを問うており、指摘された特徴は「三つの繰り返し」と「否定してから肯定する型」だった。したがって本稿は、投稿が語る自身の経験を引用せず、人間の返信とその論争だけを用いる。ついでに書いておくと、当サイトはその二つの特徴を実測している。人間のプロが書いた中国語記事125篇で、三段の繰り返しは56%、否定対句は38%に現れる。あの検出法は、本物の人間の書き物の半分以上を誤って弾くことになる。
まず要点
- 拡散と持続は一つの物理量の両端であり、両方は取れない。 蒸気圧と持続の両方の記録を持つ1,319本で、両対数の相関係数は r = −0.625。
- 四分位の階段は完全に単調で、最も揮発しやすい四分の一の持続中央値は 4時間、最も揮発しにくい四分の一は 216時間。
- そして最も強い材料は、同時に最もよく揮発する。評価に 0.01% までの希釈を要する群の蒸気圧中央値は 1.724 mmHg、50% 以下でよい群は 0.00265 mmHg。三桁の開きになる。
- 論争の決着はこうなる。保留剤を足しても拡散は作れない。 保留剤を保留剤たらしめているのは、まさにその低い蒸気圧だからだ。
読了の目安は9分ほど。
蒸気圧が買うもの、支払うもの
蒸気圧は、ある温度でその材料が液面を離れて空気へ入ろうとする傾向になる。2メートル先の鼻に届くには、分子はまず空気に入らなければならない。
データベースには、供給元があり蒸気圧とムエットの持続時間の両方を記録する原料が 1,319本ある。両者の対数をとって相関を計算すると、
r = −0.625
負であり、しかも弱くない。四分位で見るとさらに明快になる。
| 蒸気圧の群 | 蒸気圧の中央値 | 持続の中央値 |
|---|---|---|
| 最高(最も揮発しやすい) | 1.163 mmHg | 4 時間 |
| 第二 | 0.08 mmHg | 24 時間 |
| 第三 | 0.011 mmHg | 104 時間 |
| 最低(最も揮発しにくい) | 0.001 mmHg | 216 時間 |
四段すべてで単調に動き、持続の差は54倍に及ぶ。
だから「保留剤を足して拡散を増やす」は物理的に成り立たない。 保留剤として材料を選ぶことは、蒸気圧の低い側を選ぶことになる。そして蒸気圧が低いことこそ、その材料が大量に空気へ入らない理由になる。嗅いでいられる時間は伸ばせる。2メートル先に何かが存在するかどうかは、別の問いになる。
この線は沸点を使って一度測っている。あちらの問いは「沸点で持続の順位を付けられるか」だった。ここでは蒸気圧を使い、別の問いを立てている。
直感に反する半分:強いものは速くもある
上の表だけを見れば、拡散には揮発の速いトップ材料が要るが、それは持たないので拡散は短命に定まる、と結論したくなる。
そうとも限らない。第二の変数があるからだ。強度になる。蒸気圧が高くなくても圧倒的に強い材料なら、空気にわずかに入るだけで届く。
データベースの「X% 以下の溶液で評価することを推奨」という欄を強度の代理指標として、蒸気圧を群別に見る。
| 推奨される評価希釈度 | 原料数 | 蒸気圧の中央値 |
|---|---|---|
| 0.01% 以下 | 9 | 1.724 mmHg |
| 0.10% 以下 | 44 | 0.311 mmHg |
| 1.00% 以下 | 195 | 0.123 mmHg |
| 10.00% 以下 | 498 | 0.061 mmHg |
| 50.00% 以下 | 12 | 0.00265 mmHg |
向きは直感と逆になる。評価のために強く希釈しなければならない材料ほど、蒸気圧が高い。 最も強い群の中央値は、最も弱い群のおよそ650倍に位置する。
最初の行は9本しかないので、1.724 は目安として扱いたい。ただし中間の三行(44、195、498本)は傾向が安定しており、向きも揃っている。
「遅くて強い」という理想の組み合わせがどれだけ稀かも確かめた。0.1% 以下を要し、かつ蒸気圧の記録がある50本のうち、0.001 mmHg を下回るのは3本だけになる(メープルフラネオール、cortex pyridine、diisoamyl thiomalate)。
つまり拡散は揮発性 × 強度であり、このデータではその二つが同じ方向へ動く。 保留剤は両方の軸で反対の端に位置する。
人間の返信が正しく捉えていたこと
論争の外に、具体的で残す価値のある観察がいくつかあった。
一つ。サンダルウッド系の材料はすべて——bacdanol、sandalore、javanol さえ——試香紙ではどの希釈度でも期待外れだったが、空気の中ではどれもよく働く。
もう一つ。低い配合量を使い、10% に希釈してさえ、拡散はむしろ良くなった。
三つ目は語彙を与えてくれた。「直接的な衝撃」(紙に鼻を近づけて出会う強さ)と「拡散」(蒸発しながらどう運ばれるか)を分けて記録し、評価ノートに両方を書く。
この三つを合わせたものが、本稿の実務版になる。 試香紙が測っているのは直接的な衝撃であり、それと拡散は別の量になる。紙の上で大きく、部屋の中で不在なのは、紙が嘘をついているのではない。一つの物差しで別のものを測っているだけだ。
「濃くすれば拡散する」も成り立たない理由
低配合のほうが拡散が良いと気づいた人は、高配合では材料が自己飽和するのだろうと説明していた。その機構を支える文献は見つけられなかったので説明のほうは引用しない。ただし現象そのものは処方の現場でよくあることで、より控えめな言い方なら用意できる。
嗅いでいるのは空気中の濃度であって、瓶の中の濃度ではない。 その間には蒸発があり、蒸発は線形ではない。ある材料を 5% から 15% にしても、空気中の分圧が三倍になるわけではない。とりわけ混合物の中では、各材料の蒸発が互いに影響し合う。
Almeida らが2021年に International Journal of Cosmetic Science で行ったのは、まさにこの測定になる。熱重量分析で香料分子の蒸気圧を測定し、Antoine 定数と Clarke–Glew パラメータを求め、14本の香料分子についてエタノール溶液中の透過係数を ブタ皮膚を用いた Franz 拡散セルで測定、試料は GC/FID と HPLC/UV で分析し、QSAR モデルを提案している(R² = 0.7786、標準相対偏差 0.190)。
著者ら自身が限界も述べている。より大きく一般的な QSAR モデルに比べればデータセットは小さいが、溶剤の種類と材料のクラスについてははるかに具体的になる。要点はこうなる。噴霧したあとに何が起きるかは、熱重量分析と拡散セルを要する問いであって、直感で押せるものではない。
もう一層:鼻は何に対して鋭いのか
ここまでのモデルは蒸気圧 × 強度になる。では強度そのものはどこから来るのか。
Williams と Ringsdorf は2020年、Philosophical Transactions of the Royal Society B で、一群の揮発性有機化合物について嗅覚閾値と大気寿命(主要な大気酸化剤である OH ラジカルに対するもの)を比較した。
結果は予想外だった。同じ化学ファミリー内では、嗅覚閾値は分子量や蒸気圧よりも大気寿命とよく相関した。大気寿命が短い、つまり空気中で速く反応する分子ほど、人の鼻はより鋭敏に検出する傾向にある。
著者らは外れ値も検討している。ジアセチルはケトン群の外れ値だったが、より重要な光分解寿命を含めると傾向に戻った。硫化カルボニルの異常に低い閾値は、植生による取り込みで解釈された。彼らは、空気中で反応性の高い化学物質に対する鼻の高い感度が、学習されたものではなく進化したものである可能性を示唆している。
調香する側にとっての含意はこうなる。「この材料はどれだけ強いか」は、蒸気圧から導ける性質ではない。 その分子が空気中でどれだけ生きるかに関わっており、それは別の化学になる。したがって上の強度の表は観察された関連であって、機構ではない。
実際にやること
一つ、拡散が欲しいなら、トップとミドルに速くて強い材料を置く。 物理の裏づけがある唯一の道になる。保留剤は別の問題を扱っている。
二つ、直接的な衝撃と拡散を分けて記録する。 紙を近づけて一度嗅ぎ、部屋の反対側に置いて10分後に戻って嗅ぐ。両方を書き留める。
三つ、まず配合量を下げてみる。 スレッドの観察は自分で確かめる価値がある。同じ処方を 5% と 15% で作り、部屋の中で比べる。安上がりな実験になる。
四つ、試香紙で拡散を判断しない。 紙は直接的な衝撃を測る道具であり、本稿のすべての誤解の出どころになる。
五つ、保留剤は延ばすために足すのであって、増幅するためではない。 どちらもやる価値はある。自分がどちらをやっているかを知っておく。
この記事が立証していないこと
蒸気圧の欄の多くは推定と記されている。 実測値と推定値が混在し、区別はしていない。−0.625 は桁の目安として読みたい。
持続時間は紙の上の原液の記録になる。 その数字は肌での挙動を測っていないし、13.3% の材料が400時間の上限に張り付いているため、上端の分散が圧縮される。
「推奨評価希釈度」は嗅覚閾値ではない。 出典側の官能評価上の推奨であり、強度の代理であって測定値ではない。0.01% の群は9本しかない。
相関は因果ではなく、r = −0.625 は約6割の分散が説明されずに残ることを意味する。 分子量、極性、他の材料との相互作用は、その6割の中にある。
この記事は拡散そのものを測っていない。 測ったのは蒸気圧と持続で、そこから拡散を推論している。拡散を正しく測るにはヘッドスペース分析が要る。Almeida らの研究がやっているのがそれになる。
参考文献
R. N. Almeida ほか, Permeability coefficients and vapour pressure determination for fragrance materials, International Journal of Cosmetic Science, 43(2), 225–234 (2021). PMID 33452685. doi:10.1111/ics.12686
J. Williams, A. Ringsdorf, Human odour thresholds are tuned to atmospheric chemical lifetimes, Philosophical Transactions of the Royal Society B, 375(1800), 20190274 (2020). PMID 32306881. doi:10.1098/rstb.2019.0274
関連記事:沸点で持続を代用できるか、「どれくらい持つのか」、400時間の天井、保留。