はじめての調香 · 22
初心者がいちばんよくやる失敗:ひとつの枠に四本入れている
· 16 分
初心者はどこでつまずくかというスレッドの31件の回答で、いちばん具体的だったのは「ムスク四本、ドライなウッディアンバー三本、hedione系二本が全部ひとつの処方に入っている」でした。954件の公開処方に戻って数えました。ムスクを使う処方410件のうち273件はきっかり一本、四本以上はわずか9件。そしてムスク四本とアンバー三本を同時に積んだ処方は一件もありません。同じデータで「1グラム買いは無駄か」という論争にも決着をつけます。両者とも正しく、ただし別々の半分について正しい。
r/DIYfragrance で「初心者はどこでつまずくか」と訊いた人がいて、31 件の回答が付きました。質問者はまず自分の失敗から始めています。原液のシベトンと 10% 希釈を取り違えた。ペットは近寄らず、事務所の匂いは三日消えなかった。
回答の多くは姿勢の話です。処方を組む前に原料を覚えろ、何でも書き留めろ、怪しい業者から精油を買うな。どれも正しく、どれもそのまま確認できる動作にはなりません。
具体的なものは別のスレッドにありました。初心者の処方の形をこう書いた人がいます。ムスク四本。ドライなウッディアンバー三本。hedione 系二本。 どれも入れた時点では筋が通っている。単体で嗅げばいい匂いだし、役に立ちそうに見えた。けれど同じ場所を覆っているので、処方は厚くならずに、うるさく、ぼやけていく。
その状態に名前が付けられていました。嗅覚の泥。
この主張は確かめられます。手元に 954 件の公開処方があるので、プロの処方がひとつの機能枠に何本入れるかを数えられます。
先に結論
- プロの処方はひとつの枠に一本入れます。ムスクを使う 410 件のうち 273 件がきっかり一本、四本以上はわずか 9 件(0.9%)。
- ムスク四本とアンバー三本を同時に積んだ処方は、954 件に一件もありません。 初心者が描写したあの形は、この文書群には存在しません。
- 泥には正式な名前があります。Weiss らは 2012 年、等強度の成分が およそ 30 本まで積み上がると異なる混合物が同じ匂いに収束することを示し、それを嗅覚の白と呼びました。
- さらに厳しいのが Luckett らの 2021 年の結果です。複雑なベースに一本足したとき、試した三本のエステルのうち区別できたのは一本だけ。あなたが足した四本目のムスクは、処方を悪くしているのではなく、そもそも嗅がれていない可能性が高い。
- ついでに「1 グラム買いは無駄か」の論争にも決着を。両者とも正しい。 常用原料 79 本のうち 27 本は使用量 5% 以上(1 グラムでは 5 グラム試作を二回もできない)、13 本は 1% 未満(1 グラムで 40 回以上)。
読了目安 10 分。
ひとつの枠に何本
954 件の処方の原料名をキーワードで三つの機能枠に振り分けました。ムスク、アンバー/ウッディアンバー、ジャスモネート系(hedione の一族)。そして各処方が各枠に何本入れているかを数えます。
| 枠 | 使っている処方 | 使うときの中央値 | 三本以上 | 四本以上 |
|---|---|---|---|---|
| ムスク | 410(43.0%) | 1 本 | 28(2.9%) | 9(0.9%) |
| アンバー/ウッディアンバー | 184(19.3%) | 1 本 | 8(0.8%) | 1(0.1%) |
| ジャスモネート系 | 286(30.0%) | 1 本 | 1(0.1%) | 0 |
分布を開くともっとはっきりします。ムスクの列:
| ムスクの本数 | 処方数 |
|---|---|
| 0 | 544 |
| 1 | 273 |
| 2 | 109 |
| 3 | 19 |
| 4 | 6 |
| 5 | 2 |
| 8 | 1 |
ムスクを使う処方の三分の二がきっかり一本。 ムスクを八本入れているものは、954 件を通してその一件だけです。
ジャスモネート系はさらに極端で、286 件が使い、そのうち 260 件が一本、二本は 25 件、三本は全体で一件だけ。ヘディオンのようなものは、業界のやり方としては一本です。
そして直接の確認。ムスク四本以上かつアンバー三本以上の処方:
0 件。
「二本入れるな」ではありません
結論を行き過ぎて読まないように。ムスク二本の処方は 109 件あり、ムスクを使う処方の 27% にあたります。珍しい手ではないし、配合の相性を測ったときにムスク同士の共起率はもともと高く出ていました。
違うのは理由のほうです。元のスレッドの一文は書き写す価値があります。原料より先に仕事を決める。「これはいい匂いだから、ここで効くかもしれない」ではなく、「最初の二十分に立ち上がりがない」「ベースにコントラストがない」と決めてから、それをやる一本を選ぶ。
判定基準も添えられていました。ある原料がその処方で何をしているかを一文で言えないなら、たいていそれは場所を取っている以外に何もしていない。
その下に、まさに符合する自白がありました。「始めた頃、ムスクを入れすぎる失敗は確かにやった。それが他の香りをどれだけ抑えるか分かっていなかった」。抑えるというのは比喩ではありません。嗅覚研究で名前の付いた現象です。
泥の学名は「白」
Weiss らは 2012 年の PNAS でこうしました。嗅覚の刺激空間を張る 86 個の分子を選び、それぞれをほぼ等強度になるまで希釈し、成分数の異なる混合物をいくつも用意して、対になった混合物がどれだけ似ているかを人に評価させたのです。
結果はこうでした。重ならない等強度の成分数が増えるにつれて、共通成分がひとつもないにもかかわらず、混合物どうしは互いに似ていく。およそ 30 本で、ほとんどの混合物が同じ匂いになった。
もっと鋭い検証も行われています。任意の名前を付けた 30 成分混合物に慣れさせたあと、参加者はその名前を別の新規 30 成分混合物にも進んで当てはめました。ただし成分数が少ないものや、刺激空間を張っていないものには当てはめませんでした。
その共通の知覚を、白色光と白色雑音になぞらえて嗅覚の白と呼んでいます。
条件をよく読んでください。 嗅覚の白には二つ必要です。成分が刺激空間を張ること、そして等強度であること。香水は意図的にそのどちらでもありません。主役と脇役があり、濃度は何桁も離れ、原料はわざと少数の香族に寄せてあります。
つまり泥は調香の宿命ではなく、うっかりその二条件に近づけたときに起きることです。同じ強度帯で四本のムスクが打ち消し合っているのは、まさに等強度のほうの半分です。
Rochelle らは 2018 年の J. Agric. Food Chem. でこの文献を整理し、別の角度を足しています。神経系が匂いの感覚を処理するアルゴリズムに必要な入力は 三〜八個の匂い物質でよいという証拠があり、あらゆる食品の香りに何かしら寄与する識別可能な匂いはおよそ 250 個。等効力の大きな混合物では、個々の匂い物質を検出する能力は「限りなく小さかった」とも述べています。
足したその一本は、届いていないかもしれない
ここまでは「増やしすぎるとぼやける」話です。Luckett らが 2021 年の Chemical Senses で問うたのは、もっと手前でした。一本足して、分かるのか。
現代の香気化学の手法で一般的な白ワインに似た混合物をベースとして構築し、白ワインによく含まれる炭素鎖長と分岐の異なる三本のエステルでそれを改変して、濃度を変えながら添加・除去の識別課題を行いました。
結果は、三本のうち区別できる混合物になったのは一本(プロピオン酸エチル)だけ。
もう二点、覚えておく価値があります。改変物質の濃度が上がるにつれ、参加者が最初に報告した差は馴染み深さの変化で、強度はその後でした。そして添加と除去に対する感度は同程度で、著者は混合物の知覚的安定性が、欠けた情報の補完(パターン補完)と余分な情報の無視の両方に等しく依存すると解釈しています。
調香台での意味は率直です。 すでに二十本ある処方に二十一本目を足したとき、いちばんありそうな結果は良くも悪くもなく、差がないこと。その原料は毎バッチ在庫を減らし、毎バッチ間違いの機会を増やしながら、識別閾値を下回る貢献しかしていません。
元のスレッドは逆向きの問いで締められていました。抜いたら処方が良くなった原料は何か。ひとつの答えが サフラナールでした。「処方内の量は少なかった。ベースを丸くするのに効いていると思い込んでいた。それを抜いた試作をつくるまでは」。
それは Luckett の実験設計を、自宅の机の上で走らせたものです。
ついでに:1 グラム買いは無駄か
同じスレッドに小さな論争がありました。ひとつは:
「どんな原料でも 1 グラム買いは間違い。それでは何もつくれない。5 グラム(さらには 15 グラム)でも価格差はたいしてないのだから、二ドル余分に出して三倍の量を買えばいい」
反論:
「1%、0.1%、0.01% あるいはそれ以下まで希釈が必要な原料は例外(ゲオスミンなど)。そこでは 1 グラムが一生分」
コーパスで決着がつきます。40 件以上の処方に出る 79 本を使用量中央値で分けると:
| 使用量中央値 | 本数 | 1 グラムでできる 5 グラム試作 |
|---|---|---|
| 5% 以上 | 27 | 4 回未満 |
| 2〜5% | 19 | 4〜10 回 |
| 1〜2% | 20 | 10〜20 回 |
| 1% 未満 | 13 | 20 回超 |
両端は具体的にこうなります。
| 原料 | 使用量中央値 | 1 g → 5 g 試作 | 1 g → 100 g バッチ |
|---|---|---|---|
| フェニルエチルアルコール | 10.00% | 2 回 | 0.1 回 |
| ベルガモット(ベルガプテン除去) | 10.00% | 2 回 | 0.1 回 |
| ギャラクソライド 50 IPM | 9.80% | 2 回 | 0.1 回 |
| β-ダマセノン | 0.42% | 48 回 | 2.4 回 |
| シス-3-ヘキセノール | 0.50% | 40 回 | 2.0 回 |
| ローズオキサイド | 0.50% | 40 回 | 2.0 回 |
両者とも正しく、ただし別々の半分について正しい。 フェニルエチルアルコールを 1 グラムはばかげているし、ダマセノンの 1 グラムはあなたの趣味より長生きします。
だからあの規則は動作に書き換えられます。注文する前に使用量中央値を調べる。 5% 以上は大きい包装、1% 未満は最小包装。頻度と使用量の回に 79 本の全表があります。
スレッドの他に写す価値のあるもの
書き留める。 「これは調香の第一条であるべき。どこかに書き留めて参照の仕組みを持たないと、後から自分が何をしたか分からなくなる。やったことはすべて教訓になりうるが、それが何だったか分かっている場合に限る」。下にこう続きます。科学とただの弄りの唯一の違いは、書き留めたかどうか。
ラベルを貼る。 質問者のシベトン事件はこの条の最良の広告です。原液と 10% が隣り合っていて、一度取り違えて、三日分の結果。
変性剤の種類を知る。 よくある失敗として「変性アルコールに種類があると知らずにメタノール変性のエタノールを使う」が挙げられていました。手元の瓶に何が入っているかは確認する価値があります。
ノートではなく原料で考える。 ひとつの回答が完全に言い切っています。ノートは調香師にとって実在するものではない。私たちは香水を一連のノートとしてではなく、時間とともに変化するひとつの香りとして経験している。この点は測ってあります。処方あたりの原料数の中央値は 17 本で、宣伝のピラミッドはしばしば実際の原料より多くのノートを並べます。
抽象を具体と取り違えない。 泥のスレッドで最も長い回答は、初心者が持続性・拡散性・保留剤・香りのピラミッドを実体のように扱い、原料を買ってから「原料は思っていた匂いがしない」という現実にぶつかる、と論じています。助言は、足すのではなく削ぐことを考えろ、でした。
この記事が立証していないこと
枠は原料名のキーワードで割り当てました。 ムスク 20 語、アンバー 18 語、ジャスモネート系 6 語。その文字列を名前に含まない同族の原料は取りこぼすので、上の本数は過小評価です。この偏りは「枠に一本」という結論をより保守的にする方向にしか働きません。真の数値がもっと高ければ、私の結論は強まるのではなく弱まります。
嗅覚の白の条件は厳しい。 Weiss の実験は成分が等強度で刺激空間を張ることを要求し、香水はそのどちらも意図的に満たしません。したがって 30 という数字を「処方が 30 本を超えると濁る」と読むことはできません。あれは上限ではなく機構の記述です。
Luckett のベースは香水ではなくワインです。 濃度の尺度も担体も参加者の訓練度も違うので、数値ではなく方向として扱ってください。
コーパスの選択バイアスは従来どおり。 954 件のうち 74% が特許または出典の欄を持ち、その文書群の習慣を映しています。さらに言えばこれはデモ処方であり、ある一本の原料を見せることが目的です。ですから「枠に一本」は良い趣味だけでなく、その目的からも部分的に来ている可能性があります。データからその二つを分離することはできません。
「嗅覚の泥」の投稿者は同じスレッドで自作アプリを宣伝し、投稿に AI の助けを借りたことを認め、別の利用者からその場で疑問を呈されています。 それでも引用したのは、あの観察が独立に検証できるもので、上のコーパス集計がその独立検証だからです。投稿そのものは証拠ではなく、仮説です。
参考文献
T. Weiss et al., Perceptual convergence of multi-component mixtures in olfaction implies an olfactory white, PNAS, 109(49), 19959–19964 (2012). PMID 23169632. doi:10.1073/pnas.1208110109
C. R. Luckett et al., Discrimination of Complex Odor Mixtures: A Study Using Wine Aroma Models, Chemical Senses, 46, bjaa079 (2021). PMID 33347541. doi:10.1093/chemse/bjaa079
M. M. Rochelle, G. J. Prévost, T. E. Acree, Computing Odor Images, Journal of Agricultural and Food Chemistry, 66(10), 2219–2225 (2018). PMID 28285523. doi:10.1021/acs.jafc.6b05573