原料図鑑 · 165
原料図鑑:3-メルカプトヘキシルアセタート(3-MHA)—— データベースのチオール85件中65件は臭い側、これだけ香調型がフルーティ
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CAS 136954-20-6、サプライヤー35社、C8H16O2S。名前に mercapto・thiol・sulfanyl を含む原料はデータベースに257件あり、うち85件が香調型を持つ。硫黄、肉、玉ねぎ、腐敗野菜といった区画に65件。香調型が fruity なのは3件だけで、しかも実際に買えるのはこれ一つ。残り二つのサプライヤーは3社と7社しかない。ところが同じレコードを下まで読むと、香気欄はパッションフルーツ、ブラックベリー、カシスバッド、味覚欄は硫黄、ロースト、玉ねぎ、ドリアン。同一分子、二つの欄、二つの素材だ。差は各欄の測定条件に隠れている。香気は DPG 0.10% で嗅いだもの、味覚欄の使用量メモは熱帯果実 0.5〜1 ppm。さらにボルドー大学の2000年の研究は、パッションフルーツが香りそのものではなく無臭のシステイン結合体を蓄えていることを示した。ベルギーの2003年の研究は21種のメルカプトエステルを合成して感覚比較し、この一族はチオールの中では閾値が高めだと結論している。ついでに、このレコードは自分と矛盾している。主要欄の沸点は186 °C、備考欄には240 °C と書いてある。
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長い話を短く
- 名称:3-mercaptohexyl acetate、別名 3-sulfanylhexyl acetate、3-MHA、CAS 136954-20-6
- C8H16O2S、分子量 176.28、サプライヤー35社。FEMA 3851、JECFA 554、FLAVIS 12.234
- 香調型 fruity。香気:フローラル、フルーティ、洋なし、トロピカル、パッションフルーツ、ブラックベリー、ラズベリー、カシスバッド
- 味覚欄は別物:硫黄、ロースト、肉、玉ねぎ、ドリアン
- 残香 181時間 @100%、強度 high、評価は 0.10%以下の希釈を推奨
- 天然に存在:パッションフルーツ、ワイン。natural/synthetic の両方に分類
- 法規欄は JECFA、FEMA GRAS、FLAVIS のみ。IFRA の記載はない
- 既知不純物の欄には 3-mercaptohexan-1-ol、つまりアセチル基が外れたアルコール型
チオール85件のうち、香調型がフルーティなのは3件
まず一族を並べる。名前に mercapto、thiol、sulfanyl を含む原料は 257件、 そのうち 85件が香調型を持つ。内訳はこうなる。
| 香調型 | 件数 |
|---|---|
| sulfurous(硫黄) | 52 |
| meaty(肉) | 8 |
| fruity(果実) | 3 |
| herbal(ハーブ) | 3 |
| 残り18種が各1〜2件 | 19 |
硫黄、肉、玉ねぎ、ネギ属、キャベツ、大根、焦げを合わせると 85件中65件、 76%になる。チオールに対する一般的な印象そのままで、データベースがそれを裏づけている。
フルーティの3件:hexyl 3-mercaptobutanoate(3社)、 3-mercapto-3-methyl-1-butyl acetate(7社)、そしてこの 3-MHA(35社)。 つまり、実際に入手できるフルーティ型チオールは一つしかない。
例外ぶりをもう一つの角度から見る。サプライヤー35社以上のチオールは全部で7件。
| 材料 | サプライヤー | 香調型 |
|---|---|---|
| fish thiol | 78 | sulfurous |
| 2-methyl-3-tetrahydrofuran thiol | 61 | meaty |
| 3-mercapto-2-butanone | 48 | sulfurous |
| ethyl methyl mercaptopropionate | 48 | sulfurous |
| 4-methyl 4-mercaptopentan-2-one 1%溶液 | 47 | sulfurous |
| 3-mercapto-2-pentanone | 36 | sulfurous |
| 3-mercaptohexyl acetate | 35 | fruity |
臭い側が6件、果実が1件。
同じレコードで、香気欄はパッションフルーツ、味覚欄は玉ねぎとドリアン
この材料の見どころは他との比較ではなく、自分自身のレコードの中にある。
香気欄(odor):floral; fruity; pear; tropical; passion fruit; blackberry; raspberry; currant bud
味覚欄(flavor):sulfurous; fruit tropical fruit; passion fruit; roasted; meaty; onion; durian
パッションフルーツは両方にある。だが味覚欄には玉ねぎ、ロースト、肉、ドリアンが加わる。 同じ CAS、同じ一件のレコードだ。
差は各欄の小さな注記に書いてある。香気の記述欄は 「at 0.10 % in dipropylene glycol」で始まる。DPG 0.10% 希釈、これが嗅いだ条件だ。 味覚欄の使用量メモは「熱帯果実 0.5〜1 ppm、鶏肉・豚肉のローストな風味に」。 0.5 ppm は 0.00005%、嗅いだ条件よりさらに2000倍薄い。
どちらかが誤入力なのではない。同じ分子が違う濃度・違う媒体で、違う人に記録された、 それだけだ。両方とも正しく、ただどちらも自分がどの升目に立っているかを欄内に書いていない。 一件のレコードに二つの読み方が同居する話は、 二つの欄が同じ数字を持つときで別の型を扱った。
実務上の意味は単純だ。この材料の希釈度は作業上の好みではなく、 それが何になるかのスイッチである。推奨は 0.10%以下。 強度欄を持つ2,451件のうち、0.10%以下を指定しているのは 45件、2%に満たない。 チオール257件の中でも3件だけだ。 どの濃度で嗅ぐべきかで書いた閾値の、 いちばん下の升目にこれがいる。
パッションフルーツは香りではなく、無臭の前駆体を蓄えている
ボルドー第二大学醸造学部の Tominaga と Dubourdieu が2000年にやった仕事 (PMID 10898639)は、パッションフルーツ果汁の中に 3-MHA 一族の出どころを探すことだった。
結論はこうだ。3-mercaptohexan-1-ol と 3-mercaptohexyl acetate は 「パッションフルーツの香りに寄与することが既に知られている」とした上で、 今回さらに2種をこの果実で初めて同定した。要点は後半にある。 果実の不揮発性抽出物に、β-リアーゼ活性(EC 4.4.1.13)を持つ無細胞抽出液を加えると、 試験管内でチオールが遊離した。そして前駆体そのものを S-(3-hexan-1-ol)-L-システインとして同定している。
原文の言い回しはそのまま残す。この遊離は、これらの揮発性チオールが果実中に 結合型で存在することを「強く示唆する」(strongly suggests)。
調香の言葉に置き換えると、果実に入っているのは無臭のアミノ酸結合体で、 酵素が結合を切って初めて香りが現れる。ソーヴィニヨン・ブランの果汁そのものが あまり香らず、発酵後に香るのも同じ筋道になる。切っているのは酵母だ。
メルカプトエステル21種の感覚比較:この一族はチオールの中では付き合いやすい
二つ目はベルギー・ルーヴァン・カトリック大学の醸造食品工学部門、 Vermeulen と Collin の2003年の研究(PMID 12769535)。 組み合わせ化学で 21種のメルカプト酢酸エステルを一挙に合成した。 うち2種——3-MHA と 3-methyl-3-mercaptobutyl acetate——は パッションフルーツやワインなど食品中で既に検出されていたものだ。
書き写しておく価値があるのは結論の一文。他の多官能チオールと比べて、 メルカプトエステルは BE-GC-LoADS 値が相対的に高く、記述語は非常に多様である。
この略語は分解して読む必要がある。LoADS は「嗅いで検知できた最小量」で、 数値が大きいほど鈍い、つまり気づくのにより多くの量が要る。 だからこの一文が言っているのは、メルカプトエステル族は他の多官能チオールほど 強烈ではない、ということになる。
最初に読んだとき、私はこれを逆にとった。high と書いてあるので「特に強い」と書きかけ、 略語を開いて向きが逆だと気づいた。前段の 0.10% 推奨と矛盾はしない。 0.10% はデータベース全体で最も厳しい2%の側だが、 ppt 単位で語られるチオール一族の中では、これは比較的近くに立てる一本だという話だ。
このレコードは自分の沸点と矛盾している
ついでに記録しておく。主要欄にはこう書いてある。
- 沸点 186.00 °C @ 760 mmHg
- 引火点 214 °F TCC(101.11 °C)
一方、味覚記述欄の末尾、不純物の説明の隣にはこうある。 「Boiling point 240 °C. Flash point 73 °C.」
同じ一件のレコードで二組の数字、沸点は54度、引火点は28度ちがう。 どちらが正しいかは判定できない。判定できるのは、 主要欄の組には条件が付いていて(@760 mmHg、TCC 密閉式)、備考の組には付いていないことだ。 est という印が意味するもので書いた原則がここでも効く。 測定条件を連れている数字は比較に使える。連れていない数字は参考にしかならない。
輸送や通関に使う人は、このページのどちらの組も使わず、供給元に SDS を請求してほしい。
カシスバッドの区画にいる隣人たち
香気欄の末尾に currant bud(カシスバッド)と書かれている。 同じ記述語を持ち、サプライヤーが20社以上ある材料はこれだけある。
| 材料 | CAS | サプライヤー | 香調型 | 残香(時間 @100%) |
|---|---|---|---|---|
| ブクー葉油 | 68650-46-4 | 53 | herbal | 176 |
| カシスバッドアブソリュート | 97676-19-2 | 49 | spicy | 344 |
| 4-methyl 4-mercaptopentan-2-one 1%溶液 | 19872-52-7 | 47 | sulfurous | — |
| δ-ダマスコン | 57378-68-4 | 42 | floral | 220 |
| 3-mercaptohexyl acetate | 136954-20-6 | 35 | fruity | 181 |
| cassis specialty | — | 34 | floral | — |
| cassis pentanone | 23550-40-5 | 24 | sulfurous | — |
三行目の「1%溶液」で一度止まる価値がある。42,225件のデータベース全体で、 名前に solution を含む品目は 6件しかない。4-MMP はその一つで、47社が扱っている。 カタログ上 1% 希釈液としてしか流通しない材料があるなら、それ自体が取扱説明になる。 原液に触れさせる想定がない、ということだ。
3-MHA のカタログ形態は原液である。これが隣の一本との実質的な違いで、 香調欄の違いより覚えておく価値がある。 ブクー葉油の硫黄感の出どころは別の記事で扱った。
買い方と保管
サプライヤー35社、チオールとしては供給は十分にある。実務的な点をいくつか。
- 法規欄に IFRA がない。あるのは JECFA 554、FEMA GRAS 3851、FLAVIS 12.234、 EFSA の評価は FGE.08、構造クラス I。この組み合わせは食品香料としての身分を示す。 肌に乗せる処方に使うなら最新版 IFRA Standards を自分で確認すること。 欄が空だから制限がない、とは読まない。
- 既知不純物が 3-mercaptohexan-1-ol、つまりアセチル基の外れたアルコール型。 酢酸エステルは加水分解する。瓶の中の組成は時間とともにアルコール型へ寄っていき、 両者の香調は違う。開封後の小分けと低温保管はやる価値がある。
- 蒸気圧 0.049 mmHg(est)、残香181時間。残香の記録があるチオールの中では2位で、 400時間の 2-mercaptopropionic acid に次ぐ。チオールが必ずトップノートとは限らない。
- 水溶解度 284.5 mg/L(est)、logP 2.10(est)、比重 0.991〜0.996。 秤量と希釈のやり方は別の記事にある。 0.10% の桁は二段階希釈が要る。
→ データベースの 3-mercaptohexyl acetate:物性一式、35社の供給元、推奨ブレンド。
この記事が立証していないこと
- 二つの欄の記述語の差について、条件の差という説明は出したが証明はしていない。 DPG 0.10% と食品中 0.5〜1 ppm は異なる測定条件だが、 同一人物が両条件で行った対照実験は手元にない。
- Vermeulen と Collin が測ったのは21種のメルカプトエステル同士の比較であって、 3-MHA の全チオール中の順位ではない。原文の比較対象は「他の多官能チオール」という群である。
- Tominaga の論文の対象はパッションフルーツであって、ワインではない。 ソーヴィニヨン・ブランの一文は同じ機構から私が導いたもので、 当該分野に文献は多数あるが、この記事が引用した2件はそれではない。
- **二組の沸点は、どちらが正しいか判定していない。**判定したのは、 どちらが測定条件を連れているかだけである。
- 蒸気圧、logP、水溶解度の3値はいずれも (est) 付きで、計算値であって測定値ではない。