原料図鑑 · 54
原料図鑑:α-イオノン(alpha-ionone)—— 濃度を上げると、かえって嗅ぎ取りにくくなる
· 10 分
CAS 127-41-3。供給元115社、スミレとオリスの方向、ムエット112時間。2025年の研究は対数間隔の10濃度を大量の試行で調べ、ヒトの検出曲線が単調でないこと、10⁻⁵ と 10⁻³·⁵ の近くに安定した凹みが現れることを示した。同じ研究では、被験者の試行ごとの確信度は成績と一致した一方、自分の嗅覚についての自己評価は一致しなかった。
たいていの材料には単純な規則がある。多く入れれば、はっきり読める。この材料は違う。
まず要点
- スミレとオリスの方向へ進む。甘く、ウッディで、後ろに果実がある。β-イオノンとは同じ一族の二人の兄弟で、向きが違う。
- 供給元115社。データベースでも上位に入る。
- 2025年の研究は対数間隔の10濃度を調べ、ヒトの検出曲線が単調ではないことを示した。特定の二つの濃度で、検出成績が反転して下がる。
- 保管の助言は冷蔵で、このシリーズでは珍しい。GHS 分類には **H334(吸入するとアレルギー、喘息または呼吸困難を起こすおそれ)**があり、これも珍しい。
基本データ
| CAS | 127-41-3 |
| 分子式 | C₁₃H₂₀O |
| 分子量 | 192.30 |
| 種別 | 天然に存在し、合成も行われる |
| 香調 | 甘い、ウッディ、フローラル、スミレ、オリス、トロピカル、フルーティ |
| 香調分類 | floral |
| 強度 | 中(データベースが明示的に 10% 以下での評価を推奨) |
| 持続 | 112 時間(ムエット、原液 100%) |
| 外観 | 無色から淡黄色の澄明な液体 |
| 沸点 | 237–238 °C @ 760 mmHg/131 °C @ 13 mmHg |
| 引火点 | 110 °C 超 |
| 比重 | 0.927–0.933 @ 25 °C |
| 屈折率 | 1.497–1.502 @ 20 °C |
| logP | 3.00(推定) |
| 天然での存在 | ラズベリー、ブラックベリー、カシス、ニンジン、プラム、スイートアカシア、チャンパカコンクリート 0.03% ほか |
| 保管 | 冷蔵、密閉 |
| 法規収載 | FEMA 2594、JECFA、CoE、FLAVIS |
| 供給元 | 115 社 |
| コーパス順位 | 25位(953件中99件、10.4%、配合量の中央値 3.00%) |
表の平易な読み方。沸点 237 °C とムエット112時間は、動きが遅くミドルからドライダウンに属することを意味する。冷蔵の一行は本気で受け取りたい。多くの材料より熱を嫌う。
検出曲線の凹み
Cameron と Doty が2025年に Physiology & Behavior で扱ったのは、めったに認められない現象になる。
通常の前提はこうなる。濃度が上がれば検出しやすくなり、両者は単調な関係にある。ところがある種の匂い分子では、この曲線に反転が現れる。著者らはこれを凹み(notches)と呼ぶ。濃度を上げると検出成績が一時的に下がるのだ。この反転はめったに認められず、試験された被験者も匂いも少なく、方法上の懸念も多い。
そこで彼らは丁寧に組んだ。対数間隔の10濃度の α-イオノンを、ランダムな順で提示する。各試行では Snap & Sniff® ワンドを使い、無臭のミネラルオイルと、ある濃度の α-イオノンを順序を釣り合わせて相次いで提示し、どちらが強く感じたかと、9点尺度での確信度を答えてもらった。
- 研究1:24名、30分1セッションで60試行。
- 研究2:9名、各600試行を30分×10セッションで実施。
どちらの研究でも、10⁻⁵ と 10⁻³·⁵(体積比)の近くで一貫して凹みが見つかった。
著者らは、ヒトの α-イオノンの心理物理曲線に信頼できる反転が存在することを決定的に示したと結論し、その反転が異なる応答特性を持つ受容要素の動員を反映しているのかどうかを問いとして残している。
調香する側にとって、これは実務上いらだたしい経験を説明してくれる。濃くすると、判断しやすくなるどころか難しくなることがある。 「明らかに増やしたのに目立たなくなった」と思ったことがあるなら、それは必ずしも鼻の不調ではない。
もう一つ、別に取り上げたい発見がある。被験者の試行ごとの確信度は検出成績と一致したが、自分の嗅覚の良し悪しについての自己評価は一致しなかった。 人は「今回は確信があるか」については正確で、「自分の鼻は良いか」については不正確になる。個人差の記事は同じことの別の面を扱っている。
予想外の副業
Yoon らが2024年に Molecular Nutrition & Food Research で行った研究は、香水の範囲の外側にある。
彼らは A431 ヒト扁平上皮癌細胞に、嗅覚受容体 OR10A6 と嗅覚シグナル伝達の構成要素が発現していることを示した。鼻以外の組織にある異所性嗅覚受容体になる。α-イオノンをリガンドとして OR10A6 を活性化すると、増殖と遊走が抑制され、アポトーシスが誘導された。機構は Hippo 経路(LATS、YAP、TAZ のリン酸化)を通る。OR10A6 をノックダウンした細胞ではこれらの効果が消える。A431 の異種移植マウスモデルでも、α-イオノンの注射が腫瘍の増殖を抑え、ノックダウンした腫瘍では効果がなかった。
これは細胞とマウスの研究で、しかも注射による投与になる。 香水を嗅ぐことやイオノンを含む製品を使うことについて、いかなる健康上の主張も支えない。ここに置いた理由はヒドロキシシトロネラールの記事と同じになる。香料分子は体内でしばしば第二の仕事を持ち、その仕事は匂いの印象とは無関係だ。
α と β は別のものになる
同じ一族の二本が、違う方向を向く。
| 香調 | ムエット時間 | |
|---|---|---|
| α-イオノン | 甘い、ウッディ、スミレ、オリス、フルーティ | 112 |
| β-イオノン | スミレ、ウッディ、シダー、ラズベリー | 記録による |
β はすでに書いており、その物語は受容体の遺伝学になる。感受性の差の96%以上を単一の変異が説明する。α の物語は濃度のほうにある。同じ人の成績が、濃度によって反転する。
二本を並べて嗅ぐ練習には価値がある。ただし同じ希釈度で行うこと。そうでなければ、比べているのは材料ではなく濃度になる。
嗅ぐときに
- 10% ではなく 1% から始める。 データベースの強度欄はすでに10%以下を勧めており、上の研究は、もっと低い濃度に時間をかける価値があると告げている。
- 一度、濃度の階段を作る。 0.1%、1%、10% の三枚を用意し、間隔を置いて順に嗅ぐ。非単調性を自分で確かめる最も安上がりな方法になる。
- 「今日は鼻の調子が悪い」で結果を説明しない。 あの研究は、自己評価が実測の成績と一致しないことを示している。感覚に頼らず記録する。
- ミドルを支える。 112時間はミドルとドライダウンに位置づけ、配合量の中央値が3%である理由にもなる。
買い方と保管
供給元115社で入手しやすい。注意したいのは二つ。
異性体。 α-、β-、メチルイオノンは別の材料で、CAS も香りも違う。α は 127-41-3 になる。文字なしで単に「イオノン」として売られるものは、ふつう混合物で、比率は供給元による。
冷蔵。 データベースの保管欄は refrigerate と明記する。このシリーズでは珍しい。多くの材料より熱を嫌うので、届いたら小瓶に分けて冷蔵し、ラベルに日付を書く。
法規と安全
GHS の記載は一項目だけだが、その一項目が珍しい。H334 — 吸入するとアレルギー、喘息または呼吸困難を起こすおそれ。
これは皮膚ではなく呼吸器の感作の記述になる。趣味としての調香の健康リスクの記事で書いたとおり、香料材料の GHS 分類は皮膚と眼に集中し、呼吸器の記載は少ない。これにはある。原液を評価するときは換気を意識し、開けた瓶に鼻を寄せないこと。
急性毒性については、データベースはマウス腹腔内 LD50 2,277 mg/kg のみを記録する。経口と経皮の値は記載がない。
収載は FEMA 2594、JECFA、CoE、FLAVIS。上限は現行の IFRA Standards を確認する。手順はこちら。
→ データベースの α-イオノン:物性の全項目、供給元115社、推奨ブレンド。 → 香調で検索:「スミレ オリス ウッディ」と入力。
参考文献
E. L. Cameron, R. L. Doty, Non-monotonic psychometric functions for α-ionone in young adults, Physiology & Behavior, 290, 114749 (2025). PMID 39549869. doi:10.1016/j.physbeh.2024.114749
Y. E. Yoon ほか, A Food Odorant, α-Ionone, Inhibits Skin Cancer Tumorigenesis by Activation of OR10A6, Molecular Nutrition & Food Research, 68(15), e2400085 (2024). PMID 39021302. doi:10.1002/mnfr.202400085