原料図鑑 · 173
原料図鑑:δ-デカラクトン —— γ-デカラクトンと分子式が同じなのに、香調型欄では別れている
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CAS 705-86-2、サプライヤー104社。本サイトで扱ったγ-デカラクトンと分子式は同じ C10H18O2、分子量も同じ170.25で、違うのは環が五員か六員かだけだ。ところがデータベースの香調型欄は両者を分けている。γは fruity、δは coconut。C8からC12まで系列を並べると、δの列は端から端までココナッツで、γの列はC10とC12で果実側へ跳ぶ。残香は環の大きさに従わない。δ-ノナラクトンは24時間しかないのに、同じ列のδ-オクタラクトンは400時間ある。備考欄の天然存在リストには面白い語が一つ混じっている。マーガリンだ。そして2022年の東京海洋大学の論文がまさにその話をしている。対掌選択的GC-MSでバター、発酵バター、マーガリン中のラクトンの鏡像比を測ると、バターは(R)-δ-デカラクトン、マーガリンはラセミ体のみで、著者は合成香料が添加されていると結論した。ただし1997年の論文が話を引き戻す。ある酵母が作るγ-ラクトンの鏡像比は一定で培地にも影響されず、それも合法的な天然香料になる。鏡像比は証拠であって判決ではない。
読了まで約5分。
長い話を短く
- 名称:delta-decalactone、正式名 decano-1,5-lactone、CAS 705-86-2、サプライヤー104社
- 分子式 C10H18O2、分子量 170.25。γ-デカラクトンと完全に同じ
- 香調型 coconut(γ のほうは fruity)。香気:フレッシュ、甘い、オイリー、ココナッツ、フルーティ、ピーチ、クリーミー、乳、ラクトン、脂、ミルキー
- 残香 336時間 @100%、強度 medium、蒸気圧0.001 mmHg
- 法規は四項目すべて収載:JECFA 232、FEMA GRAS 2361、CoE 621、FLAVIS 10.007、FCC 収載
- 備考欄の天然存在リストにはマーガリンが含まれる
- 保存期間12か月、引火点 > 110 °C
γ と δ の違いは環の原子数
まず名前を分解する。ラクトンは分子が自分のカルボキシ基とヒドロキシ基をつないで環を作ったものだ。 何番目の炭素につながるかで環の大きさが決まる。
- γ-ラクトン:4番目の炭素、五員環(1,4-lactone)
- δ-ラクトン:5番目の炭素、六員環(1,5-lactone)
データベースの正式名欄がそれを直接書いている。δ-デカラクトンの head_synonym は decano-1,5-lactone である。
炭素数も原子も分子式も分子量も同じ。違いは環の上に原子が一つ多いことだけになる。
そしてデータベースの香調型欄は両者を分けている。
| γ-デカラクトン | δ-デカラクトン | |
|---|---|---|
| CAS | 706-14-9 | 705-86-2 |
| 分子式 | C10H18O2 | C10H18O2 |
| 分子量 | 170.25 | 170.25 |
| サプライヤー | 111 | 104 |
| 香調型 | fruity | coconut |
| 香気の先頭 | フレッシュ、オイリー、ワックス、ピーチ、ココナッツ、バター | フレッシュ、甘い、オイリー、ココナッツ、フルーティ、ピーチ |
| 残香(時間) | 256 | 336 |
香気の語自体はかなり重なっていて、ピーチもココナッツも両方にある。 分かれているのは順序だ。γ はピーチを前に、δ はココナッツを前に置き、 香調型欄はその一位を取る。
一つの分子式の下に217本で書いたとおり、 分子式は構造の辺をすべて捨てている。C10H18O2 はデータベースに 171件あり、 この二本はそのうちの二つにすぎない。
系列を並べる
C8からC12まで、γ と δ を並べる。
| 炭素数 | γ サプライヤー | γ 香調型 | γ 残香 | δ サプライヤー | δ 香調型 | δ 残香 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| C8 | 92 | coconut | 144 | 42 | coconut | 400 |
| C9 | 96 | coconut | 309 | 48 | coconut | 24 |
| C10 | 111 | fruity | 256 | 104 | coconut | 336 |
| C11 | 119 | fruity | 338 | 54 | coconut | 400 |
| C12 | 82 | fruity | 400 | 92 | tropical | 336 |
二つ目立つことがある。
一つ目。δ の列はほぼ全部ココナッツで、C12 だけトロピカルに変わる。 γ の列は C10 でギアが変わり、ココナッツから果実へ跳び、C11、C12 と果実側に留まる。 六員環は安定してココナッツと乳の方向にいて、五員環は長くなるほどピーチへ寄っていく。
**二つ目。残香は環の大きさにまったく従わない。**δ-ノナラクトンは24時間しかないのに、 同じ列の上下にあるδ-オクタラクトンとδ-ウンデカラクトンはどちらも400時間ある。 真ん中のマスだけ16倍違い、分子は炭素一つしか違わない。 この形はドデカナールの記事で測ったものと同じで、 残香は各供給元が試香紙で報告した値であって、同一の実験群ではない。
ついでに、γ の列には名前が嘘をついている二本がある。C9 はカタログ上 「gamma-nonalactone (aldehyde C-18 (so-called))」、C11 は 「gamma-undecalactone (aldehyde C-14 (so-called))」。どちらもアルデヒドではない。 -olide という接尾辞でこの命名の歴史を扱った。
備考欄はマーガリンを天然存在に入れている
δ-デカラクトンの天然由来リストは長い。ココナッツ油、バター、アプリコット、ピーチ、 チーズ(1,680 ± 97 µg% という記録もある)、サトウキビ、豚脂、ラベンダー油、 そしてマーガリン。
マーガリンが「天然に存在する」リストに載っていること自体、一度立ち止まる価値がある。 次節の論文がまさにその話をしている。
バターとマーガリンの違いは、鏡像比に書かれている
2022年、東京海洋大学の Saeki らが直接的な仕事をしている(PMID 35482605)。 溶媒抽出と対掌選択的ガスクロマトグラフィー質量分析を組み合わせ、 バター、発酵バター、マーガリン中の δ-および γ-ラクトンの鏡像分布を定量した。
結果を原文どおりに。バターと発酵バターの主要なラクトンは (R)-δ-デカラクトンと(R)-δ-ドデカラクトンだった。 対照的に、マーガリンの試料は δ-デカラクトンと δ-ドデカラクトンをラセミ体でのみ含み、 マーガリンには合成香料が添加されていることを示していた。
加熱後、バターと発酵バターでは 13種類のラクトンが検出された。加熱した試料では 主要な δ-ラクトンは(R)体が豊富だったが、(S)体で検出されたのは δ-オクタラクトンだけだった。
原理は単純だ。生合成の酵素は手性を持つので生成物は片側に偏り、 化学合成にはその偏好がないので半々になる。 だから鏡像比を見れば、その味を作ったのが牛か工場かが分かる。
この論文には2022年の正誤表(J Agric Food Chem 70(30):9596)があり、引用時には併せて見る。
ただし酵母も作る。しかも比は一定
いま述べた判別法には穴があり、1997年の Dufossé らの論文がそこを埋めている(PMID 9366027)。
彼らが扱ったのは香気を産生する酵母 Sporidiobolus salmonicolor で、 培地にピーチ様の匂いを与える。多次元ガスクロマトグラフィー(MDGC)に 修飾β-シクロデキストリンカラムを接続し、二種類の異なる培地で培養したときに 産生される五種のγ-ラクトンの鏡像比を測定した。
結論は二層ある。一つ、これらの比は生育過程を通じて一定に保たれ、培地の組成にも影響されない。 二つ、著者はこう書いている。消費者が「天然」と見なす製品を好むことを考えると、 微生物によるラクトン生産は果実フレーバーの有力な代替となりうる。
つまり酵母発酵で作られたγ-デカラクトンは、鏡像比が偏っていて(酵素が手性を持つため)、 法規上も天然香料に分類されるが、桃を一度も通っていない。
鏡像比は「化学合成」と「生合成」を分けられるが、「果実」と「発酵槽」は分けられない。 証拠であって判決ではない。バニラエキストラクトの記事の 炭素同位体と同種の道具であり、同種の限界を持つ。
買い方と保管
サプライヤー104社、供給は十分。実務的な点をいくつか。
- **買う前に γ か δ かを決める。**名前はギリシャ文字一つ違いだが、価格も香りの方向も違う。 ピーチなら γ、ココナッツとバターなら δ。純度欄は「98〜100%、異性体の合計」とあり、 その「合計」に注意がいる。
- **鏡像の規格は別途訊く。**天然グレードと合成グレードで鏡像比が違い、 一般の規格書には書かれない。天然表示に対応するなら対掌体純度の資料を求めること。
- 残香336時間、蒸気圧0.001 mmHg はベースノートの桁になる。融点−27 °C で冬も固まらない。
- 保存期間12か月は単一化合物としては短いほう(多くは24か月)。遮光密封。
- 水溶解度393.8 mg/L(est)。アルコール、固定油、プロピレングリコールに溶ける。
→ データベースのδ-デカラクトン:物性一式、104社の供給元、推奨ブレンド。
この記事が立証していないこと
- 「γ は長くなるほどピーチへ寄る」は五件の記録から見た傾向で、標本は C8 から C12 まで。 香調型は出典データの付与であって、こちらで分類し直したものではない。
- 残香欄の跳ねについては説明の方向を一つ示しただけ(各供給元が別々に測っている)で、 実際の非単調性を排除してはいない。
- Saeki らは「すべてのマーガリンに合成香料が入っている」とは言っていない。 自分たちの試料がラセミ体だったので添加が示唆される、と述べている。標本数は抄録にない。
- Dufossé らが扱ったのは γ-ラクトンであって δ-ラクトンではない。 微生物ルートの存在を示すために使っており、その比を本稿の主役に当てはめてはいない。
- 備考欄がマーガリンを天然存在に入れている件は、出典まで追っていない。 「この分子がマーガリンから検出されたことがある」という中立的な記述かもしれない。