原料図鑑 · 51
原料図鑑:α-テルピネオール(alpha-terpineol)—— 柑橘が古くなると行き着く先
· 10 分
CAS 98-55-5。供給元103社。香調はパイン、ライラック、シトラス、ウッディにまたがる。2026年のレモン果汁のシミュレーション系の研究では、16本のテルペノイドのうち13本がこれへ変換された。柑橘のテルペン化学の終着点にあたる。もう一本の2026年の論文は、武夷岩茶「肉桂」のシナモン様の香りをリナロールが抑えることを測っており、強度は5.83から2.00へ落ちた。そのリナロールは、当サイトの処方コーパスでこの材料の最も多い相方になる。
2年ほど置いたレモン油の瓶を開けて、覚えている明るい柑橘ではなく、どこかパインめいた乾いたものが出てきたとする。そこで嗅いでいるものの多くが、これになる。
まず要点
- 香気の記述が異例に広い。パイン、テルペン、ライラック、シトラス、ウッディ、レジナス、クーリング、レモン、ライム。同じ材料が、隣に何がいるかで別のものとして読まれる。
- 2026年のレモン果汁のシミュレーション系の研究では、16本のテルペノイドのうち13本がα-テルピネオールへ変換された。 その反応群が行き着く先になる。
- ムエット上で 20時間。このシリーズでは短いほうで、トップとミドルの骨格を担い、ドライダウンは担わない。
- 供給元103社。データベースでは上位だが最多ではない。ゲラニオールが198社、バニリンが193社になる。
基本データ
| CAS | 98-55-5 |
| 化学名 | 2-(4-methyl-3-cyclohexen-1-yl)-2-propanol |
| 分子式 | C₁₀H₁₈O |
| 分子量 | 154.25 |
| 種別 | 天然に存在し、合成も行われる |
| 香調 | パイン、テルペン、ライラック、シトラス、ウッディ、フローラル、レジナス、クーリング、レモン、ライム |
| 香調分類 | terpenic |
| 強度 | 中(10% 以下での評価を推奨) |
| 持続 | 20 時間(ムエット、原液 100%) |
| 外観 | 無色の粘稠な液体〜固体 |
| 沸点 | 214–218 °C @ 760 mmHg |
| 引火点 | 88.33 °C |
| 比重 | 0.930–0.936 @ 25 °C |
| 屈折率 | 1.474–1.486 @ 20 °C |
| logP | 1.80(推定) |
| 天然での存在 | きわめて広い。Amomum testaceum 果実油 3.00%、Achillea tenuifolia 花油 2.00%、アンジェリカ根油 0.40%、ガランガル油 0.20% ほか数十種 |
| 保管 | 24か月以上。冷暗所、乾燥、密閉、熱と光を避ける |
| 法規収載 | FEMA 3045、JECFA、CoE、FLAVIS |
| 供給元 | 103 社 |
| コーパス順位 | 19位(953件中128件、13.4%、配合量の中央値 3.88%) |
表の平易な読み方。logP 1.80 は香料としては低く、多くのテルペンより水を受け入れやすい。水系の製品でも扱いやすいということになる。引火点 88 °C は中程度に高い。天然での存在の欄が長いのは、ほぼどの精油にもいくらか現れるからで、この事実自体が次の節への手がかりになる。
13本がこれになる
Yan らは2026年、Food Chemistry でユーレカレモン果汁のテルペノイドの変換をシミュレーション系で調べ、16本のテルペノイドが果汁中の酸と酵素の作用で何になるかを追跡した。
結果はこうなる。α-ピネン、β-ピネン、リナロール、ネロールはそれぞれ5種の異なるテルペノイドへ変換され、16本のうち13本がα-テルピネオールへ変換された。6組は平衡に達するまで相互変換する。主要な活性中間体として、テルピネン-4-イルカチオンとα-テルピニルカチオンが同定されている。
酵素なしと酵素ありの両方のシミュレーション果汁で、d-リモネン、α-テルピネオール、γ-テルピネンの濃度は常に上昇し、反応性が最も高いのはβ-ピネン、ゲラニオール、テルピネン-4-オール、α-ピネン、ネロールだった。
これは果汁のシミュレーションであって、香水や精油の瓶の中の条件ではない点は押さえておきたい。ただし化学の骨格ははっきり見える。このテルペン群は酸性下でカチオン中間体を経て転位し、その下流でα-テルピネオールが溜まる。
実務上の二つのことが説明できる。第一に、柑橘系の精油が保管中にパインと乾いた木の方向へ寄っていく理由。酸化だけでなく、酸触媒による転位も効いている。第二に、なぜ多くの天然物の組成表に顔を出すのか。多くの経路の下流にいるからになる。
リナロールがこれを抑える
二本目のほうが面白い。当サイト自身のデータと噛み合うからだ。
ペアの分析では、α-テルピネオールとリナロールが 88件の処方で同居し、lift は 1.94 だった。コーパスで最も頻繁な相方の一つになる。
Deng らは2026年、Food Chemistry: X で武夷岩茶「肉桂」のシナモン様の香りがどこから来るのかを調べた。シナモン樹皮を感覚的な参照とし、HS-SPME-GC-MS、GC-オルファクトメトリー、香気の再構成と添加試験を組み合わせるセンソミクスの手法で、7つの候補まで絞り込んでいる。
主要な寄与は ベンゼンプロパナールとα-テルピネオールの二本だった。
そして肝心の一歩。リナロールを加えると、再構成系ではシナモン様の強度が 5.83 から 2.00 へ、シナモン再構成の茶湯では 6.67 から 4.33 へ落ちた(p < 0.05)。著者らはこれをフローラルによるマスキングと呼ぶ。簡略化した熱モデルでは、リナロールの消耗とα-テルピネオールの限定的な生成が示され、テルペンの均衡が熱に関連して動くことのモデル系からの証拠になっている。
つまりあの頻繁なペアは、二本が互いを強め合っているのではない。一方がもう一方を手なずけている。 単独のα-テルピネオールはレジナスでスパイシーな方向へ流れるが、リナロールがその面を抑え、柔らかいライラックとシトラスフローラルが残る。
これは茶であって香水ではなく、マスキングの数値もそのまま処方へ移せない。それでも方向は使える。尖って乾いて聞こえるときは、減らす前にリナロールを足してみる。
嗅ぐときに
- 10%から始めて、まずライラックを探す。 原液ではレジナスなパインがフローラルの面を覆う。
- マスキングの実験をやる。 ムエット2枚。片方は10%のこれだけ、もう片方に同量の10%リナロールを加える。二本の材料が互いを書き換えることを、家で最も安く見せてくれる実演になる。
- 動きが速いことに注意する。 このシリーズでは20時間は短い。ベースを支えることは期待しない。
- 古い柑橘油と並べる。 手元に年月の経った瓶があるなら、その比較が前節の化学を自分の経験に変えてくれる。
買い方と保管
供給元103社で入手しやすい。注意したいのは異性体になる。α-、β-、γ-、そして4-テルピネオール(テルピネン-4-オール)が存在し、香りも CAS も異なる。αは 98-55-5。発注前にこの数字を照合する。
ギリシャ文字なしで単に「terpineol」として売られているものは、ふつう異性体の混合物で、比率は供給元による。再現性のある処方を組むなら、αと明記された等級を買う。
保存期間は24か月以上。密閉と遮光で足り、窒素封入は不要になる。
法規と安全
GHS は三項目。H315 皮膚刺激、H319 重篤な眼刺激、H335 呼吸器への刺激のおそれ。
三つ目には触れておきたい。趣味としての調香の健康リスクを扱った記事で書いたとおり、香料材料の GHS 分類は皮膚と眼に集中しており、呼吸器の記載は比較的少ない。これにはある。原液で評価するときは換気を意識し、開けた瓶に鼻を突っ込まないこと。
急性毒性の数値は寛容で、ラット経口 LD50 が 4,300〜5,170 mg/kg、マウス強制経口が 2,830 mg/kg。経皮 LD50 は未測定。
収載は FEMA 3045、JECFA、CoE、FLAVIS で、名簿そのものは使用上限を示さない。上限は現行の IFRA Standards を確認する。自分で確かめる手順はこちら。
→ データベースのα-テルピネオール:物性の全項目、供給元103社、推奨ブレンド。 → 香調で検索:「ライラック パイン シトラス」と入力。
参考文献
W. Y. Yan ほか, Investigation of transformations of aromatic terpenoids in Eureka lemon juice based on simulated systems, Food Chemistry, 525(Pt 2), 150485 (2026). PMID 42475986. doi:10.1016/j.foodchem.2026.150485
S. Deng ほか, Sensomics-based characterization of cinnamon-like aroma in Rougui Wuyi Rock Tea: core odorants, perceptual masking, and thermal modulation, Food Chemistry: X, 38, 104243 (2026). PMID 42621005. doi:10.1016/j.fochx.2026.104243