原料図鑑 · 79
原料図鑑:酢酸オクチル —— 同じ1件の記録が、ジャスミンともマッシュルームとも書いている
· 13 分
CAS 112-14-1。サプライヤー55社。香調タイプ欄はフローラルと書き、香調欄はグリーン、アーシー、マッシュルーム、ハーバル、ワクシー、フルーティ、アップルと書く。同じ記録のなかで、あるサプライヤーの注記は「Odor: Jasmine」、別のは「フローラル、ハーバル、フルーティ」、そしてデータベース自身の記述は「グリーン、アーシー、マッシュルーム、ハーバル、ワクシー」になる。データの誤りではなく、この分子がそういうものだ。ベルガモット油の微量天然成分(0.07〜0.20%)であり、Boswellia occultaフランキンセンスの主成分であり、2022年の研究が市販フランキンセンス精油から検出した合成の不正混和物でもある。
このシリーズは多くの香調欄を読んできた。この素材が変わっているのは、記録が自分自身と食い違っている点になる。
データベースの欄:
| 欄 | 内容 |
|---|---|
| 香調タイプ | フローラル |
| 香調 | グリーン、アーシー、マッシュルーム、ハーバル、ワクシー、フルーティ、アップル |
タイプはフローラルと言い、記述はマッシュルームと言う。
そして同じ記録に収められたサプライヤーの評が、さらに2つの方向を出す。
Advanced Biotech、OCTYL ACETATE NATURAL:「Odor: Jasmine」 Alfrebro、n-OCTYL ACETATE NATURAL:「フローラル、ハーバル、フルーティ」 データベース自身の記述(Luebke, 1982):「グリーン、アーシー、マッシュルーム、ハーバル、ワクシー」
3つの出どころ、3つの方向。ジャスミン、フローラル・ハーバル・フルーティ、グリーン・アーシー・マッシュルーム。
先に結論
- CAS 112-14-1、C₁₀H₂₀O₂、MW 172.27、サプライヤー55社。
- 香調タイプはフローラル、香調欄の最初の語はグリーン、3番目はマッシュルーム。
- 3つの独立した出どころが3通りの記述を与え、そのうち1つはただ「ジャスミン」と書く。
- 残香は100%で16時間、強さはmedium、保存期間24か月。
- 自然界での居場所は散らばっている。 リンゴ、リンゴ果汁、ビール、ベルガモット油 @ 0.071〜0.199%、ブラッドオレンジ油……
- そして香水の外に、もっと目立つ身分がある。 2022年の研究は市販フランキンセンス精油21本を分析し、3本から合成の酢酸オクチルを検出した。さらに1本は複合的な不正混和の一部で、2本は Boswellia occulta の混入だった。この種はもともとこの分子に富む。
- GHSは2行だけ。H226 引火性、H303 飲み込むと有害のおそれ。
読了8分ほど。
3つの記述、1つの分子
はっきりさせておく。これはデータベースの誤りではない。
データベースの欄が誤る例(veramossの産出欄)も、不完全な例(ジヒドロ-β-イオノンがキンモクセイを落としている)も書いた。この記録はどちらでもない。3つの記述はすべて正しいかもしれない。
OlofssonとGottfriedの2015年の Trends in Cognitive Sciences の論文は、こう始まる。
ほとんどの人は、慣れ親しんだ匂いに名前をつけることが極めて難しいと感じる。
要点は、この困難が匂いの知覚処理も視覚的な物体命名も損なわれていない場合でも残ることにある。つまり問題は感覚と言語システムのあいだにある。彼らはそれを3つの連続した段階に分ける。物体知覚、語彙-意味の統合、そして発話だ。
40本の回でも同じ論文を使った。 あのときは4人が1つのOceanolを4通りに記述していた。今回は1件のデータベース記録のなかに3つある。
そしてこの分子でその現象がとくにはっきり出るのには、構造的な理由がある。
なぜこうなるのか
酢酸オクチルは直鎖C8アルコールの酢酸エステルになる。
直鎖の脂肪族エステルには特徴がある。フルーティなエステルの性格と、脂っぽくワクシーな性格を同時に持ち、どちらが前に出るかは濃度、純度、そして嗅ぐ人によって変わる。
- 低濃度で、フルーティな背景のなかでは、リンゴ、フルーティ、フローラルと読める。だから「ジャスミン」になる。
- 原液で高濃度なら、C8鎖の脂っぽさが前に出て、マッシュルームのようなアーシーさが添う。だから「グリーン、アーシー、マッシュルーム」になる。
どちらの記述も、1つの素材を別の条件から見たものになる。
(はっきりさせておくと、この説明はこの分子群についてのこちらの一般的な記述で、引用した論文から来たものではない。 データベースはその3つの記述がどの濃度でなされたかを書いていない。ただしLuebkeのものには「at 100.00%」——原液とある。 他の2つに濃度の記載はない。)
実務上の帰結は直接的だ。買った瓶が読んだ記述と違う匂いなら、まず同じ濃度で嗅いでいるかを確かめる。 オリスバターの回と同じ教訓になる。
自然界での居場所
産出欄は散らばっている。
リンゴ、リンゴ果汁、ビール、ベルガモット油 @ 0.071〜0.199%、ベルガモット油 @ 0.15%、トルコ産ベルガモット油 @ 0.09%、ブラッドオレンジ油(Sanguinello、イタリア)@ 0.007%、ブラッドオレンジ油(Tarocco、イタリア)……
ベルガモットの行に注目したい。 同じ油で出どころが違うと、**0.071%から0.199%**まで、3倍近い幅になる。バッチ差については書いたが、これが微量成分でのその姿になる。
柑橘油では微量成分、リンゴやビールでは天然成分になる。
そしてフランキンセンスでは、主成分になりうる。
フランキンセンスの話
香水の外でこの素材について知る価値がいちばんあるのがここになる。
Boswellia occulta は比較的最近になって独立に記載されたフランキンセンスの種で、もともと酢酸オクチルに富む。 そのためその精油は、一般のフランキンセンスより緑がかった鋭いトップを持つ。
そしてOjhaらの2022年の Plants の研究が、それをもっと複雑な文脈に置く。
彼らは市販21本と自家蒸留2本のフランキンセンス(Boswellia carteri)精油を、GC-MSとキラルGC-MSで分析した。その21本のうち:
- 3本から合成の酢酸オクチルが検出された
- さらに1本は「コパイバ樹脂+フランキンセンス樹脂+合成酢酸オクチル」の複合事例
- 2本は Boswellia occulta 種の混入
つまり同じ1分子が、B. carteri と表示された瓶に現れるとき、まったく違う2つの意味を持ちうる。
| 出どころ | 意味 |
|---|---|
| 天然、B. occulta 由来 | 種の表示誤りまたは混合 |
| 合成、加えられたもの | 不正混和 |
そしてどちらも「このフランキンセンスは思ったより緑で鋭い」という匂いになる。
あの論文がキラルGC-MSを使った理由でもある。 キラル分析が見るのは鏡像異性体の分布で、天然由来と合成由来はふつうそこが違う。 両者を分けられる数少ない道具の1つになる。
(酢酸オクチル自体はアキラルなので、あの論文のキラル分析は試料中の他のテルペノイドを対象としている。手法をここに書いたのは論文を説明するためで、この分子に使われたと主張するためではない。)
全体の文脈は対になる記事にある。ここで覚えておくのは、買ったフランキンセンスが思ったより緑なら、この分子が第一容疑者であり、入口が2つあるということになる。
物性
| 項目 | 値 |
|---|---|
| CAS | 112-14-1 |
| 分子式 | C₁₀H₂₀O₂、MW 172.27 |
| 外観 | 無色の澄明な液体(推定) |
| 沸点 | 206〜211 °C |
| 融点 | −38〜−37 °C |
| 引火点 | 81.7 °C |
| logP | 3.40(推定) |
| 水溶解度 | 33.39 mg/L @ 25 °C(推定) |
| 残香 | 100%で16時間 |
| 強さ | medium |
| 保存期間 | 24か月以上 |
| サプライヤー | 55社 |
| 規制収載 | JECFA、FEMA GRAS、CoE、FLAVIS |
| GHS | H226 引火性液体および蒸気、H303 飲み込むと有害のおそれ |
16時間はこのシリーズでは中間の短いほうになる。cis-3-ヘキセニルアセテートの4時間未満より長く、ジヒドロ-β-イオノンの9時間より長く、イソオイゲノールの400時間には遠い。
GHSは2行で、どちらも穏やかになる。 感作も水生有害性もない。
保存期間24か月。 エステルなので加水分解する。湿気が敵になる。
この記事が示していないこと
嗅いでいない。 全体はデータベースの欄と2本の論文の突き合わせになる。
「3つの記述はすべて正しいかもしれない」はこちらの解釈で、実証された主張ではない。 どれか1つが単に誤っている可能性もあり、データベースからは判断できない。
「直鎖の脂肪族エステルは両方の性格を持ち、どちらが前に出るかは濃度による」はこの分子群についてのこちらの一般的な記述で、引用した2本のどちらからも来ていない。この段落に出典は付けていない。
3つの記述のうち濃度が明記されているのは1つだけになる(Luebkeの「at 100.00%」)。残る2つには記載がないので、濃度による見え方の違いという説明自体もデータに支えられていない。
Olofssonの論文は命名の困難についての一般的な総説で、この分子の研究ではない。「1つの匂いに複数の記述が生じる」が既知の現象であることを示すために引いたのであって、この3つの出どころを説明するためではない。
Ojhaの研究は特定の市販フランキンセンス精油21本を対象にしていて、市場からの無作為抽出ではないし、その21本の選び方も書かれていない。「合成酢酸オクチルはよくある不正混和物だ」はあの論文が支持するより強い主張になる。
「B. occulta はもともと酢酸オクチルに富む」はこちらによる背景の記述になる。 Ojhaの論文は B. occulta の混入に触れているが、要旨はその種の酢酸オクチル含量を述べていない。 この一文に直接の出典は見つけていない。
ベルガモット油の0.071〜0.199%はデータベースの産出欄の数字で、一次出典はない。
GHS分類はデータベースの記載であって、規制上の完全な判定ではない。実際に使うときは手元のロットのSDSと現行のIFRA基準に従ってほしい。
参考文献
P. K. Ojha, D. K. Poudel, A. Rokaya, R. Satyal, W. N. Setzer, P. Satyal, Comparison of Volatile Constituents Present in Commercial and Lab-Distilled Frankincense (Boswellia carteri) Essential Oils for Authentication, Plants, 11(16), 2134 (2022). PMID 36015437. doi:10.3390/plants11162134
J. K. Olofsson, J. A. Gottfried, The muted sense: neurocognitive limitations of olfactory language, Trends in Cognitive Sciences, 19(6), 314-321 (2015). PMID 25979848. doi:10.1016/j.tics.2015.04.007