はじめての調香 · 26
ボトルの中の白い粒:矛盾する八つの説明と、自分でできる切り分け
· 14 分
香水の中に白い粒と糸のようなものが浮いている、という写真つきの投稿に30件の返信がつき、少なくとも八通りの互いに両立しない答えが並んだ。サプライヤー20社以上で融点の記載がある460品目のうち、255品目(55.4%)は20 °C以下で固体。オリスバターの融点は40〜46 °C、コーパルは90〜140 °C。そして最も自信たっぷりだった「ミセルライン」という言い方は用語が違う——ミセルには界面活性剤が要るが、香水の処方にはふつう入っていない。
r/DIYfragranceに写真2枚つきの投稿があった。
「1か月ほど前に買った香水(オーストラリアのクローン系メーカー)なんですが、最近ボトルの中に変な糸のようなものが浮いているのに気づきました。あと白く濁った粒が液全体にけっこう散っています。香水でこんなの見たことがなくて……正体が分かるまで、さすがに肌にかける気になれません」
返信は30件。そこに並んだ答えは、少なくとも八通りあって、しかも互いに両立しない。
| 説 | 票 |
|---|---|
| 髪の毛一本、それとホコリについた気泡 | 80 |
| ミセルライン。溶けきらない液滴がアルコールから分離しかけている | 24 |
| エタノールが飛んだか温度が下がったことによる析出 | 3 |
| 濾しきれていない天然物の粒子が寄り集まったもの | 5 |
| カビ | 1(2人が1回ずつ) |
| 入れすぎたDPGかグリセリン | 1 |
| トナリドのような結晶性素材が過飽和から落ちてきた | 1 |
| コーパル樹脂が低温で固まった | 1 |
この散らばり方そのものが、一本書くに値する。 誰かが雑なのではない。このうちいくつかは資料に当たれるし、当たると候補が減る。
先に結論
- 「冷えると何か出てくる」には裏づけがある。 データベースでサプライヤー20社以上かつ融点の記載がある460品目のうち、255品目(55.4%)は融点が20 °C以上。つまり室温でもともと固体だ。
- スレッドで名前の挙がった2つはどちらも合っている。オリスバターの融点は40〜46 °C、コーパルは90〜140 °C。
- 「ミセルライン」は用語が違う。 ミセルは界面活性剤が臨界濃度を超えたときにできるもので、ふつうの香水処方に界面活性剤は入っていない。書かれている現象(溶けきらない液滴が分離してくる)は乳化か析出にあたる。
- 実際の仕組みには名前がある。ナノ沈殿、通称**「ウーゾ効果」**だ。疎水性の化合物が貧溶媒に入ると、界面活性剤なしで粒子の分散ができる。
- 八つのうち最もありそうにないのがカビ。 スレッド内で反論が出ていて、その筋は通っている。
- 「これについてのAIの回答」をそのまま貼った返信が一つあった。貼られた文章自体は正しい。そして質問者の役には立っていない。
読了9分ほど。
「冷えて析出する」はどのくらいありふれているか
まず、いちばん確かめやすい説から。
サプライヤー20社以上かつ融点の記載がある原料を抜き出すと、460品目あった。
| 融点 | 品目数 | 割合 | 意味 |
|---|---|---|---|
| 20 °C以上 | 255 | 55.4% | 室温で固体 |
| 4 °C以上 | 295 | 64.1% | 冷蔵庫で固まる |
| 0 °C以上 | 304 | 66.1% | — |
半分以上が室温で固体だ。
室温にいちばん近いあたりを抜き出す。寒くなった時期に人を困らせるのはこの層になる。
| 融点 | 素材 | サプライヤー |
|---|---|---|
| 17〜18 °C | デカナール(アルデヒドC-10) | 92社 |
| 16.6 °C | 酢酸 | 82社 |
| 17〜18 °C | γ-ドデカラクトン | 82社 |
| 16〜17 °C | オクタン酸 | 68社 |
| 17〜19 °C | アントラニル酸ジメチル | 64社 |
| 17〜20 °C | グリセリン | 64社 |
17度。 冬の室内なら、そのくらいの家はいくらでもある。しかも先頭のデカナールはサプライヤー92社で、調香を始めた週に買うアルデヒドのほうであって、珍しい素材ではない。
最後の行はもう一度見る価値がある。 スレッドで「グリセリンの入れすぎでは」と推測した人がいたが、グリセリン自体の融点が17〜20 °Cだ。ただしグリセリンは過冷却しやすいことで有名で、実際にはまず結晶化せず粘い液体のままになる。融点と、自分のボトルで何が起きるかは、別の問いだということがここに出ている。
スレッドで名前の挙がった2素材も、データベースと合う。
- オリス根コンクリートバター:融点40〜46 °C。「オリスバターは低温で固まるものがある」と書いた人は正しい。体温より上でようやく液体になる素材だ。
- コーパル樹脂:融点90〜140 °C。「処方にコーパルが入っていないか」と聞いた人も、いい質問をしている。(コーパルはデータベース上サプライヤー2社で、上の460品目の条件から外れる。この融点は全件からの参照で、あの統計には入っていない。)
つまり「冷えて何かが溶けきれなくなった」は推測ではなく、数字のついたよくある状況になる。
(このシリーズではエキサルトライドの融点34〜38 °Cやカロンの38〜41 °Cを扱ってきた。エチルバニリンは粉で届く。手元のパレットに固体は思っているより多い。)
あの「ミセルライン」について
票数2位の答えは、かなり自信をもって書かれていた。
「髪の毛じゃないし、ボトルが汚れているわけでもない……あれはミセルラインっていうんだ! 溶けきらない液滴が連なって、アルコールから分離しようとしている。原因は質の低いオイル、盛りすぎた処方、香料に水が多すぎること。IPMかPS20を少し足せば溶解を保てる」
同じ人が後からこう書き足している。「まだ9か月だけど、マセレーションについて最初に覚えたことの一つがこれだった……ここって調香する人の場所じゃなかったの?」
起きていることの記述は合っている。名前が違う。
ミセルは界面活性剤の話だ。 水になじむ端と油になじむ端をもつ両親媒性の分子が、臨界ミセル濃度を超えたところで自発的に球状に集まる。ふつうの香水処方にはその役をする分子がいない。エタノールに香料が溶けているだけだ。
書かれていた「溶けきらない液滴が分離してくる」は乳化か析出で、別の物理現象になる。
そして本当の仕組みのほうは、よく調べられている。
Lepeltierらは2014年に Advanced Drug Delivery Reviews で**ナノ沈殿と「ウーゾ効果」**をレビューしている。名前はアニス酒から来ていて、透明な酒を水に注ぐと触れた瞬間に白く濁る、あれのことだ。
そこにはこう書かれている。適切な条件のもとで、疎水性化合物の貧溶媒中でのナノ沈殿は、粒径分布の狭いナノ粒子分散体を、界面活性剤を用いることなく与える(「ウーゾ」効果)。
レビューの主題は過飽和溶液中での凝集体の核生成と成長を支配する主要パラメータで、混合の速度論が効くことが強調されている。
「界面活性剤を用いることなく」のところが要点になる。 そこがミセル化との境目だ。ミセルには界面活性剤が要り、ウーゾ効果には要らない。 香水のボトルで起きているのは後者にあたる。
IPMやPS20を足すという助言自体は妥当だ。 可溶化剤なので溶解性は実際に改善する。効く理由が、書かれていた説明とは別物だというだけの話になる。
カビの説について
カビを挙げた人が2人いた。スレッド内ですぐに反論が出ている。
「カビがアルコールの中に出るなんてありえない。たぶんホコリと髪の毛だよ。自分も同じことがあって、香水にアリがどうやってか入っていた」
この反論の向きは正しい。 エタノールは十分な濃度で広い範囲の微生物に効くし、香水のエタノール濃度はふつうの微生物が耐えられる範囲をはるかに超えている。
(GoldらのStatPearlsのレビューは、アルコール系消毒剤の有効性と、それが何に左右されるか——アルコールの種類、量、使い方の一貫性——をまとめている。あれは手指衛生の話で香水の話ではないので、エタノールの抗菌作用が確立している、という一般的な事実のためだけに引いている。手指消毒の数値を香水に持ち込むつもりはない。)
一つだけ例外を書いておく。 そのボトルのエタノールが少なく水が多いなら——「大部分が水系なのでは」と書いた人がスレッドにいた——その守りは弱くなる。グリセリンの回で計算したとおり、水を含む製品は別のルールで動いていて、防腐が要る。
ふつうのアルコール香水でカビはほぼありえず、水系の何かなら十分ありうる。どちらなのかは処方で決まり、写真に処方は写っていない。
AIの回答を貼った返信
こう書いた人がいた。
「析出に見えます。高濃度の香水では起きます。エタノールが一部飛んで濃度が上がったか、気温が下がったか(低温では溶解度が落ちます)。振れば成分は溶け直して、しばらくは溶けたままになります。これについてのAIの回答: 調香において析出とは、溶けていた成分が溶液から出てきて、目に見えるフレーク、濁り、底の沈殿を形成することを指します」
AIの定義部分は間違っていない。 析出とはそういうことだ。
そして何もしていない。 言葉をその言葉の定義に置き換えただけで、卓上にあった問いは「八つのうちどれがこのボトルなのか」だった。
前回書いたことのきれいな実例になっている。確かめられる部分(定義)と確かめられない部分(あなたのボトルの診断)が、同じ段落に同じ口調で並んでいる。この人が出典を明示したのは良い。まずいのは明示しないほうだ。
ついでに書くと、この人が前半で自分の言葉で書いたこと——エタノールが飛ぶ、気温が下がる、振れば溶け直す——のほうが、貼られた定義より役に立つ。試せる予測になっているからだ。
自分のボトルがどれなのかを見分ける
ここまでを手順にまとめる。どの段階も、八つのうちいくつかを消すためにある。
1. 光にかざして形を見る。
- 細長い・1本・曲がっている → 繊維か髪の毛の可能性が高い。
- 細かい粒が一様に散り、液全体が濁る → 溶解性の問題。
- 底に塊がある → 析出か、濾されなかった天然物の残り。
2. 湯せんで35〜40 °Cに温めて10分置く。
- 溶けた → ほぼ確実に温度と溶解性の話。あの255品目のどれかということになる。
- 溶けない → 析出ではない。異物のほうを考える。
この段階は置く価値がある。八つを一手で二つの群に割ってくれるからだ。自分の作ったバッチが濁ったときは、一晩かけて処方を組み直そうとしてから、ようやくボトルを温めることを思いついた。4分ほどで澄んで、処方はもともと問題ではなかった。
3. 振って、置いて、どこに戻ってくるかを見る。
- 毎回同じ場所にできる → そこで何かが核になっている。例の繊維かもしれない。
- 一様に散ってからゆっくり沈む → 析出。
投稿者が書いていたのは後者だった。振ると底に集まり、しばらくするとまた浮いて糸状になる、と。
4. 処方を読む。 ラベルに天然物、アブソリュート、樹脂、あるいは融点が高いと知っている素材があれば、答えはたいてい手順1で出ている。
5. 助けたいなら濾す。 コーヒーフィルターでもシリンジフィルターでもいい。仕上がった香水は元々濾すものだ、とスレッドで書いた人がいて、それは正しい。ただし濾すと欲しかったものも一部落ちる。溶けきらない天然物の画分も香りに効いていたからだ。
6. 買った完成品なら、売り手に言う。 スレッドでいちばん実際的だったのは、これは当てずっぽうでは診断できないから業者に連絡して交換してもらえ、という一行だった。返品のほうが、正体不明の固体を肌に吹くより安くつく。
この記事が示していないこと
あの写真と記述以外は何も見ていない。 上のどの判断も文章の記述に対して書いたもので、あのボトルが八つのどれなのかは分からない。ここにあるのは手順であって、あの人の問いへの答えではない。
55.4%には強い抽出の偏りがある。 サプライヤー20社以上の原料は1,412品目あり、そのうち融点の記載があるのは460品目(32.6%)だけだ。データベースは融点が意味をもつときに記録する傾向があるので、460品目の中の固体の割合は、全原料の中の固体の割合より高く出る。あの数字は記載のある集団の話で、一般化できない。
融点は純品の融点であって、溶液から析出する温度ではない。 融点40 °Cの素材をエタノールに溶かしても40 °Cで結晶化するわけではない。析出は濃度と溶媒と共存成分で決まる。融点は疑うべき素材を教えるだけで、境目の温度は教えない。
「ミセルは用語が違う」は用語の訂正であって、あの人の対処法が間違っているという話ではない。 可溶化剤を足すのは効く。
Lepeltierらのレビューはドラッグデリバリーのもので、香水の研究ではない。引いたのは仕組みと界面活性剤が要らないという性質で、応用先ではない。
アルコール消毒のレビューは手指衛生の話だ。 エタノールの抗菌作用という一般的な事実にだけ使い、数値は持ち込んでいない。
温める手順が何品目で効くかは試していない。 融点から導いた運用上の提案で、実験結果ではない。容器が熱に耐えるかを確かめ、火気から離してほしい。引火点がとても低い素材もある。
参考文献
E. Lepeltier, C. Bourgaux, P. Couvreur, Nanoprecipitation and the "Ouzo effect": Application to drug delivery devices, Advanced Drug Delivery Reviews, 71, 86-97 (2014). PMID 24384372. doi:10.1016/j.addr.2013.12.009
N. A. Gold, T. M. Mirza, U. Avva, Alcohol Sanitizer, StatPearls [Internet], StatPearls Publishing (2023). PMID 30020626