原料図鑑 · 67
原料図鑑:フェネチルアルコール —— 使用量の中央値がちょうど10.00%、60年前にArctanderが書いた数字と重なる
· 14 分
CAS 60-12-8。公開処方954件のうち274件(28.7%)に入っていて、リナロールと酢酸ベンジルに次ぐ3番目。使用量の中央値は10.00%で、頻出上位10素材のなかで最も重い。Arctanderが書いたのは「5-10-20%、ときにはもっと」。48件では処方内で最も重い素材になっている。香りの強さはmediumなのに残香は32時間。水への溶解度22,000 mg/Lはローズウォーターが作れる高さだ。2016年の研究は重水素標識でバラの合成経路を追い、主経路が季節で入れ替わることを見つけた。天然品が高い理由は2024年のレビューにある——この分子は、それを作る酵母に毒性を示す。
この素材の使用量の中央値は10.00%だ。
9.8でも10.3でもない。公開処方954件のうちこれを使っている274件を並べて中央値を取ると、きれいに10.00に乗る。
そしてArctanderは自分の原料書で、この素材が処方に入る割合を「5-10-20%、ときにはもっと」と書いている。
あの本が出たのは1960年だ。 60年あまり後、まったく別の出どころの処方群の中央値が、彼の書いた3つの数字の真ん中に落ちている。
先に結論
- 954件中274件(28.7%) に登場する。3番目に多い素材で、上にいるのはリナロール(338)と酢酸ベンジル(317)だけ。
- 使用量の中央値10.00%、四分位範囲は4.0%〜13.0%。51%の処方が10%超で使い、47件は20%超、いちばん重い1件は64.4%。
- 48件では処方内で最も重い素材(溶剤を除く)になっている。順位の中央値は4位。
- 香りの強さはデータベース上medium、残香は32時間 @ 100%。弱くて長い。だからこれだけ入れられる。
- 水への溶解度22,000 mg/L。香料としては桁外れに高い。ローズウォーターはこれでできている。
- バラはこの分子を2つの経路で作り、主経路は季節で入れ替わる(Hirata 2016)。
- 天然品が高いのは、この分子が作り手の微生物に毒性を示すからだ(Bernardino 2024)。
読了8分ほど。
どれだけ多く、どれだけ重く
まず位置づけから。重複を除いた954件の処方群で、溶剤を除くと:
| 素材 | 登場件数 | 割合 | 使用量の中央値 |
|---|---|---|---|
| リナロール | 338 | 35.4% | 5.93% |
| 酢酸ベンジル | 317 | 33.2% | 5.00% |
| フェネチルアルコール | 274 | 28.7% | 10.00% |
| クマリン | 225 | 23.6% | 2.34% |
| シトロネロール | 220 | 23.1% | 5.94% |
上の2つより登場は少ないのに、入るたびに上の2つより重い。 頻出上位10素材のなかで、使用量の中央値はこれが最も高い。
分布はこうなる。
| 使用量 | 件数 | 使っている処方に占める割合 |
|---|---|---|
| 1%未満 | 9 | 3% |
| 1〜4% | 54 | 20% |
| 4〜10% | 71 | 26% |
| 10%以上 | 140 | 51% |
| 20%以上 | 47 | 17% |
使っている処方の半分以上が10%を超えて入れている。
このシリーズではめずらしいことだ。 計算したとおりほとんどの素材は使用量の中央値が1%を下回る。イロンやダマセノンの水準になると0.01%の単位で数えることになる。フェネチルアルコールは別の生き物で、処方の体積そのものにあたる。
48件では重量が最大の素材になっている。 順位の中央値は4位なので、1位でないときも前のほうにいる。
なぜこれだけ入れられるのか
データベースの香りの強さはmedium。そして前に書いたとおり、強さのラベルは入れられる量と逆を向く。強い素材ほど占められる割合は小さくなる。
残香は32時間 @ 100%。弱くて、しかも32時間持つ。 その組み合わせが役割を決めている。
Arctanderの評はそっけない。低コスト、汎用性、香りとしての受け入れられやすさ、そして優れた安定性が、この「比較的弱い」香料にとって強く有利にはたらく、と書く。さらに、フローラルでもバルサミックでもオリエンタルでもモッシーでもハーバルでもアルデヒディックでも、構成のなかで浮くことはまずない、とも。
その主張は処方群のなかに見える。 28.7%の処方に入っていて、その処方の系統はばらばらだ。
物性も噛み合っている。
| 項目 | 値 |
|---|---|
| CAS | 60-12-8 |
| 分子式 | C₈H₁₀O、MW 122.17 |
| 沸点 | 219〜221 °C |
| 融点 | −27〜−25.8 °C |
| 引火点 | 102 °C |
| 保存期間 | 24か月以上 |
| サプライヤー | 110社 |
| GHS | H302(飲み込むと有害)、H319(強い眼刺激) |
引火点102 °Cは輸送にも保管にも優しい。 これまで扱ってきた素材のなかでは当たり前ではない。シネオールの引火点は48 °Cしかない。
隣に立っているのは誰か
共起を計算した。フェネチルアルコールを使う274件のなかで、全体での基準頻度より高く出てくる素材はどれか。
| 素材 | 共起件数 | リフト |
|---|---|---|
| ロジノール | 29 | 2.59× |
| フェニルアセトアルデヒド | 42 | 2.57× |
| ケイ皮アルコール | 63 | 2.24× |
| 酢酸フェネチル | 33 | 2.21× |
| シクラメンアルデヒド | 38 | 2.07× |
| ヒドロキシシトロネラール | 88 | 1.90× |
| ゲラニオール | 97 | 1.76× |
この表は要するに古典的なローズベースの買い物リストだ。 ロジノール、ゲラニオール、シトロネロール、フェネチルアルコール。19世紀末に固まった組み合わせになる。ヒドロキシシトロネラールとケイ皮アルコールが、それをスズランとバルサムのほうへ寄せる。
2行目で少し止まる価値がある。 フェニルアセトアルデヒドはフェネチルアルコールの酸化状態で、1段違いの関係にある。そして次の節で見るとおり、その1段は、バラがフェネチルアルコールを作るときの最後の1段にあたる。調香師は生合成経路上で隣り合う2分子を同じ処方に入れていて、たいていはその理由で入れてはいない。
リフト最上位のロジノールは、共起がわずか29件だ。 その組み合わせが語っているのは専門性になる。ロジノールを使う人はほぼ必ずフェネチルアルコールも使い、フェネチルアルコールを使う人の多くはロジノールに触れない。
バラはこの分子をどう作るのか
Hirataらは2016年に Bioscience, Biotechnology, and Biochemistry で、バラの花における2-フェニルエタノールの生合成をレビューしている。
方法はきれいだ。バラの花に重水素標識したフェニルアラニン(L-[²H₈]phenylalanine)を与え、GC-MSでその重水素の行き先を追う。残った標識原子の数が、分子がどの段階を通ったかを教えてくれる。
論文には、この投与実験とそれに続くGC-MS分析が [²H₈]-2PE に至る推定中間体を明らかにし、生化学的・遺伝学的解析が主要経路を解明した、と書かれている。
そして最近の発見のほうが覚えておく価値がある。季節特異的な経路があって、[²H₈]フェニルアラニンから [²H₇]-2PE を作る。重水素が1つ少ないということは、別の道を通っているということだ。
彼らの言葉では、これは特定の化合物に至る主要経路が季節とともに変わるという、珍しい例になる。
同じバラが、季節によって同じ分子を別のやり方で作る。 調香に直接効く話ではない。ただ、実務で出くわす現象に一つの説明の候補を与える。同じ産地・同じ品種のローズアブソリュートのバッチ差が、抽出条件だけから来ているとは限らない。
(ローズオイルの組成の揺れについてはシトロネロールの回で書いた。これは同じ問題への別角度になる。)
天然品の値段の理由
Bernardinoらは2024年に Molecules で、生物工学的な2-フェニルエタノール製造の進展をレビューしている。
書き方は明快だ。この化合物はさまざまな花から天然に得られるが、市場需要を満たすのに最も使われている経路は化学合成である。
「天然」の表示が成り立つのは別の道になる。酵母や細菌を使い、Ehrlich経路でL-フェニルアラニンを2-PEへ生物変換する。こうして得られたものは天然とみなしうる。
そこで来るのがボトルネックだ。
当該香気化合物が生産微生物に対して毒性を示すため、生産収率は通常低くなる。
酵母は自分の作ったものに止められる。 収率が上がらず、コストが下がらない理由がそれになる。レビューの大部分は、そこを迂回する話に割かれている。生産菌株、培養条件の最適化、生成物毒性の緩和策、低価格な原料。
この一文は別のことも説明している。 フェネチルアルコール自体、医薬品では保存料として使われている。微生物への毒性は副作用ではなく、既知の性質だ。発酵槽のなかでは、その性質が製造側の反対に立っているだけになる。
(今日のもう一本の白い粒の記事で書いたエタノールの抗菌作用と同じ種類の話になる。香水にはもともと微生物を抑えるものが何種類か入っている。)
実務上の癖:水に溶ける
データベースの水溶解度は 22,000 mg/L @ 25 °C(推算値21,990、実測値22,200)。
2.2%だ。 香料としてはありえない高さになる。たいていの香料は水への溶解度を1桁のmg/Lで数える。
これがローズウォーターの正体になる。 バラを蒸留すると層が分かれ、油相がローズオットー、水相——ローズウォーター、芳香蒸留水——に残るのが主にフェネチルアルコールだ。その水相は伝統的に再抽出される。 中身に回収する価値があるからになる。
実務では:
- 水を含む製品を作るなら(芳香蒸留水、ミスト、化粧水)、フェネチルアルコールは可溶化剤なしで入れられる数少ない香料の一つになる。
- ローズオットーを買うなら、精油中のフェネチルアルコール含量は低いことを知っておく。水のほうへ行ったからだ。それは偽和ではなく分配の結果になる。
- アルコール香水を作るなら、この性質は効いてこない。エタノールがもともと溶かすからだ。
この記事が示していないこと
Arctanderの「5-10-20%」と中央値10.00%が重なるのは、面白い一致であって検証ではない。 954件の処方の74%は特許か公開済みの出どころから来ていて、その書き手たちは同じ本を読んでいる可能性が高い。独立した2つの観測ではない。
中央値10.00%は香料コンセントレート中の重量比で、製品濃度ではない。 仕上がった香水はふつう10〜20%へ希釈されるので、肌に届くのは1〜2%程度になる。
共起のリフトは同時に出ることだけを語り、相互作用は語らない。 フェニルアセトアルデヒドがフェネチルアルコールと並ぶことは、香りの上で足し合わさるかどうかについて何も言わない。それは官能評価の仕事になる。生合成経路で隣り合っているという点は、後から気づいた一致であって、処方者の意図として帰属できるものではない。
Hirataの論文はレビューで、一次の実験報告ではない。 重水素標識の詳細は引用元の論文にあり、そちらは個別に読んでいない。
季節特異的経路を具体的なアブソリュートのバッチ差に結びつけることはできない。 機構としては筋の通る推論だが、測定された関連ではない。
「生産微生物に毒性」はレビューの記述で、こちらが測ったものではない。 阻害濃度は菌株で変わる。レビューにまとまっているが、数値は持ち込んでいない。
22,000 mg/Lの溶解度はデータベースが推算値と実測値の両方を載せている。 両者は近いが、自分で測ってはいない。
GHS分類はデータベースの記載であるH302とH319で、規制上の完全な判定ではない。実際に使うときは手元のロットのSDSと現行のIFRA基準に従ってほしい。
参考文献
H. Hirata, T. Ohnishi, N. Watanabe, Biosynthesis of floral scent 2-phenylethanol in rose flowers, Bioscience, Biotechnology, and Biochemistry, 80(10), 1865-1873 (2016). PMID 27297332. doi:10.1080/09168451.2016.1191333
A. R. S. Bernardino, C. A. V. Torres, J. G. Crespo, M. A. M. Reis, Biotechnological 2-Phenylethanol Production: Recent Developments, Molecules, 29(23), 5761 (2024). PMID 39683919. doi:10.3390/molecules29235761